田畑政治とは?|東京オリンピックを実現した熱血リーダーの生涯と驚きの行動力

「東京オリンピックの招致を支えた人物は誰?」と聞かれたら、あなたは誰を思い浮かべますか?

実は、1964年の東京オリンピックを実現するために、裏側で大きな力を発揮した人物がいます。

その人物が、田畑政治(たばた・まさじ)です。

田畑政治は、水泳選手を目指していましたが、病気によって選手の道を断念します。

しかし、そこで終わりません。

水泳の指導者となり、日本水泳界を強くし、さらに東京オリンピックの招致にも力を注ぎます。

今回は、田畑政治とはどんな人物だったのか、歴史や人物像、驚きのエピソードをわかりやすく紹介します。

水泳選手をあきらめたことが人生を変えます

田畑政治は1898年、静岡県浜松市に生まれます。

子どものころから水泳に親しみ、将来は水泳選手になることを夢見ます。

ところが、病気によって水泳選手としての道を断念することになります。

普通なら、ここで夢をあきらめてしまいそうです。

しかし田畑は、水泳そのものをあきらめません。

選手ではなく、指導する側として水泳に関わる道を選びます。

その後、朝日新聞の政治部記者として働きながら、水泳の指導にも力を入れます。

まさに「二足のわらじ」です。

1932年のロサンゼルス・オリンピックでは、日本水泳陣を支える立場で活躍します。

日本の水泳陣が活躍し、田畑政治もスポーツ界で存在感を高めます。

「出られないなら、勝負を見せる」田畑政治の行動力

田畑政治の面白さは、ただ熱いだけではありません。

「どうすれば日本の水泳を強くできるか」を考え、次々と行動します。

特に有名なのが、戦後のロンドン・オリンピックをめぐるエピソードです。

日本は戦争の影響で、1948年のロンドン大会に参加できませんでした。

そこで田畑は、オリンピックと同じ時期に日本選手権を開催します。

日本の選手たちが世界のトップ選手と比べても負けないことを、記録で示そうと考えたのです。

その結果、日本水泳界の実力を世界に示します。

古橋廣之進ら日本の水泳選手が、世界記録級のタイムを出します。

「参加できないなら、日本の実力を見せればいい」

そんな田畑の負けず嫌いな発想が、日本水泳界を大きく動かします。

東京オリンピックを日本に呼んだ男

田畑政治の大きな功績の一つが、1964年東京オリンピックの招致です。

戦争で大きな被害を受けた日本にとって、東京でオリンピックを開くことは簡単な話ではありません。

それでも田畑は、東京でオリンピックを開催する夢をあきらめません。

招致活動に力を注ぎ、1959年には東京開催が決定します。

その後、組織委員会の事務総長として、大会の準備を進めます。

しかし、すべてが順調だったわけではありません。

大会直前には事務総長を辞任することになります。

それでも田畑は、東京オリンピックの成功を願い続けます。

1964年10月10日、ついに東京オリンピックが開幕します。

戦後の日本が世界に復興を示す、大きな大会となります。

田畑政治は、東京オリンピックの招致に大きく貢献した人物として知られます。

まとめ

田畑政治は、最初から順風満帆だった人物ではありません。

病気によって、水泳選手になる夢をあきらめることになります。

それでも水泳を離れず、今度は指導する側から日本の水泳を強くします。

さらに、その経験を生かして東京オリンピックの招致にも力を注ぎます。

田畑政治の人生から感じるのは、「できなくなったら終わり」ではないということです。

選手になれなかったからこそ、指導者として大きな仕事を成し遂げます。

夢への道が一つ消えても、別の道は残っています。

田畑政治は、そのことを自らの人生で示した人物です。

おすすめ書籍

『ミスター・オリンピックと呼ばれた男 田畑政治』(著:大野益弘)

田畑政治の人生を、わかりやすく知ることができる本です。

水泳選手を断念したところから、水泳指導者としての活躍、古橋廣之進らとのエピソード、そして東京オリンピック招致までを描きます。

224ページで読みやすく、難しい言葉も少ないため、人物の生き方を楽しみながら歴史を知りたい人にも向いています。

今回の記事で紹介した「夢をあきらめても別の道がある」というテーマとも、特に相性のいい一冊です。