水戸黄門・徳川光圀の生涯|実は旅をしていなかった?日本を代表する名君の素顔

「水戸黄門」と聞くと、印籠を見せて悪人をこらしめる姿を思い浮かべませんか?

でも、歴史上の徳川光圀は、テレビドラマとは少し違う人生を歩んでいます。

徳川光圀は、江戸時代に水戸藩の二代藩主を務めた人物です。

若いころは荒っぽい一面もありましたが、18歳ごろに『史記』を読んだことをきっかけに、歴史や学問を大切にするようになります。

そして、日本の歴史をまとめる大事業『大日本史』の編纂を始めます。

今回は、そんな徳川光圀の生涯をたどりながら、なぜ今も「水戸黄門」として親しまれているのか、そして光圀が残した考え方や功績をわかりやすく紹介します。

若いころは意外とやんちゃだった?人生を変えた一冊の本

徳川光圀は1628年に生まれ、徳川家康の孫にあたります。

水戸徳川家の跡継ぎとなりますが、若いころから落ち着いた人物だったわけではありません。

ところが18歳のころ、『史記』という中国の歴史書を読んだことで大きな変化が起こります。

歴史を学ぶ中で、自分の生き方を見つめ直すようになります。

その経験が、光圀の人生を大きく変える転機となります。

それからは学問に力を入れ、歴史を深く学ぶようになります。

失敗や反省をそのまま終わらせず、次の行動につなげる姿勢を身につけます。

この経験は、現代を生きる私たちにも意外と身近な話に感じます。

水戸藩主として活躍!歴史を残す大仕事に挑戦します

1661年、徳川光圀は水戸藩の二代藩主になります。

藩主として政治を行う一方で、学問や文化にも力を入れます。

その中でも特に有名なのが、日本の歴史をまとめる『大日本史』の編纂です。

光圀は歴史を残すことに力を注ぎ、家臣や学者たちとともに大規模な事業を始めます。

しかも、この仕事は光圀が生きている間には完成しません。

それでも後の水戸藩主たちが事業を受け継ぎ、長い年月をかけて完成させます。

ここに光圀の「自分一人で終わらせなくても、後の人につなげればいい」という発想を感じます。

大きな仕事ほど、すぐに結果が出るとは限りません。

それでも始める。

そんな姿勢こそ、徳川光圀が残した大きな功績の一つといえます。

晩年は隠居して学問へ!「水戸黄門」の旅は本当?

1690年に藩主の座を譲った徳川光圀は、その後も学問や文化に関わります。

そして1700年、73歳で生涯を終えます。

テレビの「水戸黄門」では、助さんや格さんを連れて全国を旅します。

しかし、実際の光圀がそのような全国漫遊をしたという事実はありません。

現在知られている「水戸黄門」の旅は、後世に作られた物語として広まったものです。

一方で、光圀が学問を重んじ、歴史を後世に残すことを大切にした人物だったことは史実からもわかります。

若いころの失敗をきっかけに学び、政治を行い、大きな歴史書を残します。

派手な旅をした人物ではありません。

それでも、自分の経験から学び、後世に残る仕事を始めた人物として、今も私たちの記憶に残ります。

まとめ|水戸黄門・徳川光圀から学べること

徳川光圀は、テレビで見る「水戸黄門」とは少し違う人物です。

全国を旅して悪人を退治したわけではありません。

その代わり、学問を大切にし、日本の歴史を残す大事業に取り組みます。

若いころには問題もありました。

しかし、歴史書との出会いをきっかけに自分を見つめ直し、その後の人生を大きく変えます。

ここが徳川光圀の面白いところです。

最初から完璧な人だったわけではありません。

失敗して、学んで、考え方を変えます。

そして、自分が始めた仕事を後の世代へつなげます。

人生では、過去の失敗を消すことはできません。

でも、そこから何を学ぶかは自分で選べます。

徳川光圀の生涯は、「今からでも学び直せる」ということを教えてくれます。

徳川光圀をもっと知りたい人におすすめの一冊

『徳川光圀(水戸黄門)』(著:鈴木俊平)

「水戸黄門」のモデルになった徳川光圀の人生を、物語として読みたい人におすすめします。

光圀の生涯や『大日本史』の編纂などを、人物の生き方とともに知ることができます。

歴史の専門書は少し難しく感じる人でも、人物の人生を中心に読めるので入りやすい一冊です。

「水戸黄門は知っているけれど、徳川光圀についてはよく知らない」という人にも向いています。

まず人物そのものを知りたいなら、こうした伝記から入るのがおすすめです。