
「女性だから、そんなことはできない」と言われたら、あなたならどうしますか?
今では女性が自分の好きな仕事を選ぶことも、珍しいことではありません。
しかし、今から150年以上前は、女性の生き方が今よりずっと限られていました。
そんな時代に、自分の力で道を切り開いた女性がいます。
その人が、新島八重です。
八重は会津藩の砲術師範の家に生まれ、幼いころから銃の扱いを学びます。
そして戊辰戦争では、髪を切って男装し、銃を手に会津若松城で戦います。
ここだけ聞くと、かなり強い女性に感じます。
でも、八重のすごさは戦ったことだけではありません。
戦争の後は京都へ移り、教育に関わります。
そして新島襄と結婚し、女子教育にも力を尽くします。
さらに夫が亡くなった後は、日本赤十字社の活動にも参加します。
戦うことから、学ぶことへ。
そして最後は、人を助けることへ。
今回は、そんな新島八重の歴史、人物像、そして心に残るエピソードをわかりやすく紹介します。
会津戦争では、銃を手にして戦います
新島八重は、1845年に会津藩で生まれます。
父親は会津藩の砲術師範を務めていた山本権八です。
八重は兄の影響を受け、幼いころから銃の扱いを学びます。
当時の女性としては、とても珍しいことでした。
八重が22歳だった1868年、戊辰戦争が始まります。
会津藩も戦いに巻き込まれ、会津若松城は敵に囲まれます。
いわゆる「籠城戦」です。
ここで八重が、驚きの行動に出ます。
髪を切って男装し、銃を手にして戦います。
八重が使ったのは、スペンサー銃という当時としては新しい銃です。
城に籠もりながら、自ら銃を撃って戦います。
女性が戦場に出ること自体が珍しい時代です。
それでも八重は、「女性だから戦えない」とは考えず、自分にできることを自分の力でやります。
しかし、会津藩は最終的に降伏します。
戦争では父親を失い、夫だった川崎尚之助とも離縁することになります。
八重にとって、人生を大きく変える出来事になります。
戦いに敗れた八重は、そこで立ち止まりません。
新しい場所で、別の人生を始めます。
京都で新島襄と出会い、教育に関わります
戊辰戦争から数年後、八重は兄の山本覚馬を頼って京都へ移ります。
ここから、八重の人生は大きく変わります。
会津では銃を手にして戦った八重ですが、京都では新しい知識や教育に触れます。
そして、八重の人生で大きな存在になるのが新島襄です。
新島襄はアメリカで学び、帰国後に京都で学校をつくろうとしていました。
それが、現在の同志社につながる学校です。
八重と襄は1876年に結婚します。
この結婚も、当時としてはかなり珍しいものでした。
2人は京都で初めてとなるプロテスタント式の結婚式を行います。
また、八重は襄の妻として家を守るだけではありません。
女子塾で教えるなど、女子教育にも力を尽くします。
こうした活動は、現在の同志社女子大学につながる女子教育の出発点にもなりました。
一方で、八重は周囲から何でも受け入れられたわけではありません。
当時の女性としては自由な考え方を持ち、行動もかなり積極的でした。
そのため、「女性らしくない」と批判されることもあります。
でも、夫の襄はそんな八重を理解していました。
襄は八重を「ハンサムウーマン」と表現しています。
見た目だけではなく、八重の生き方そのものを認めていたのです。
戦争では銃を持ち、京都では教育に関わる。
八重は、時代の常識だけで自分の生き方を決めませんでした。
夫の死後は、看護活動にも力を尽くします
1890年、八重の人生に大きな出来事が起こります。
夫の新島襄が亡くなります。
襄は46歳という若さでした。
大切な夫を失った八重ですが、ここでも立ち止まりません。
同じ年、八重は日本赤十字社の活動に加わります。
そして、社会のために何かできることはないかと考えます。
そこで力を注いだのが、看護活動です。
1894年に日清戦争が始まると、八重は広島で救護活動に参加します。
広島で傷ついた兵士たちの看護にあたり、その後も看護活動に力を尽くします。
さらに日露戦争でも、篤志看護婦として救護活動にあたります。
ここが八重の人生で、とても興味深いところです。
若いころは銃を持って戦った八重が、晩年には人を助ける側になります。
「戦う女性」から「人を救う女性」へ。
人生の後半で、八重は新しい役割を見つけます。
八重は、後に「日本のナイチンゲール」とも呼ばれるようになります。
最初から看護の道を目指していたわけではありません。
夫を亡くした後、自分にできることを考えた結果でした。
八重の人生を見ていると、人生は一度決めた道だけを歩く必要はないと感じます。
環境が変われば、自分にできることも変わります。
そして八重は、そのたびに新しい役割を見つけます。
1932年、八重は86歳で亡くなります。
幕末から明治、大正、昭和まで、激動の時代を生き抜いた人生でした。
まとめ
新島八重と聞くと、「銃を持って戦った女性」というイメージが強いかもしれません。
確かに、それは八重を語るうえで欠かせないエピソードです。
でも、八重の人生はそれだけではありません。
会津では銃を学び、戊辰戦争では実際に戦います。
その後は京都へ移り、新島襄と出会います。
そして教育に関わり、女子教育にも力を尽くします。
さらに夫を亡くした後は、日本赤十字社の活動に参加します。
日清戦争や日露戦争では、看護活動にも力を尽くします。
つまり八重は、人生の中で何度も新しいことに挑戦した女性です。
「自分はこういう人間だから」と、最初から可能性を決めつけません。
その時、その場所で自分にできることを考えます。
だからこそ、150年以上前に生きた八重の生き方に、今でも共感できます。
何かを始めるのに、遅すぎることはありません。
今の自分にできることから始めればいい。
新島八重の人生は、そんなことを教えてくれます。
おすすめ書籍
『新島八重 明治のハンサム・ウーマン』(著:国松俊英)
新島八重が、どのような時代を生き、なぜ「ハンサム・ウーマン」と呼ばれるようになったのかを、物語としてわかりやすく読める一冊です。
戊辰戦争で銃を手に戦った姿だけでなく、京都での生活や教育への関わりなども描かれています。
常識にとらわれず、自分で考えて行動した八重の生き方を知ることで、新しいことに挑戦する勇気をもらえる一冊です。