正しいと信じたことのために命をかける――それは、避けることのできない覚悟。
こんにちは、今日は論語の中でも特に「正義感」や「覚悟」に関わる言葉をご紹介します。
それがこちらの言葉。
「義に死するは、得て免るべからず」
(ぎにしするは えてまぬかるべからず)
これは『論語』の「憲問(けんもん)」という章に登場する孔子の言葉で、意味はシンプルながらとても重い内容です。
意味を簡単に言うと?
「正しいことのために命を捧げることになったとしても、それを避けてはいけない。」
つまり、「命が惜しいからといって、自分の正義を曲げるべきではない」という、孔子の強い道徳観が現れた一言です。
たとえ話でイメージしよう
例えば、ある小さな村に井戸を汚すことで利益を得ていた悪徳商人がいたとします。村人たちはそれに気づいていたけれど、報復が怖くて誰も声を上げられなかった。
そんなとき、一人の若者が立ち上がります。
「このままではみんな病気になる。正しいことをしよう」と。
結果、その若者は商人に命を狙われ、命を落とすことになるかもしれない。でも、それでもなお、**「正しいと信じることを貫く」**という選択をした。
まさにこの姿が、「義に死するは、得て免るべからず」の精神なのです。
なぜこんな言葉が生まれたの?
この言葉が出てくる『論語・憲問』の中では、孔子が「義(ただしいこと)」を最も大切に考える弟子・子路(しろ)に語った言葉とされています。
子路は「義」のためなら命を惜しまない人物として知られていて、孔子はその姿勢を尊びつつ、「もし本当に『義』があるなら、それを貫く覚悟は避けられない」と語ったのです。
つまり、これは理想論ではなく、覚悟の話なんですね。
現代にどう活かす?
現代では、命をかけるような状況は少ないかもしれませんが、「信念を貫く」ことは私たちの日常にもたくさんあります。
たとえば、みんなが「楽してズルしよう」としている中で、ひとり「正しい方法でやろう」と言えるか?
自分に不利でも、「これはおかしい」と言えるか?
そうした小さな場面でも、この論語の言葉が私たちの背中を押してくれるのです。
おわりに
「義に死するは、得て免るべからず」――。この言葉には、ただ正義を語るだけでなく、**「それを選んだなら、逃げずに最後まで責任を持て」**という強い意志が込められています。
現代の私たちも、自分の信じる「義」を見失わずに生きていきたいですね。