
私たちが日々暮らす中で、どうしてもお金やモノに目が行きがちですよね。
収入を増やしたい、もっと豊かになりたい――それ自体は悪いことではありません。
でも、その土台となる「人としての在り方」がないまま財産ばかりを追いかけてしまうと、心がどこか不安定になってしまうことも。
そんなとき、ふと立ち止まって心に刻みたいのが、論語の中のこの言葉。
【徳は本なり、財は末なり】とは?
この言葉は、孔子の教えをまとめた『論語』の中に出てくる一節です。
「徳は本なり、財は末なり」――つまり、
人としての徳(=道徳的な心や行い)が“根本”であり、財(=お金や物)はその“結果”にすぎない
という意味です。
たとえ話
ある村に二人の若者がいました。
ひとりは、毎日「どうすれば早く金持ちになれるか」ばかりを考え、ずる賢く立ち回ってお金を手に入れていました。
でも、人からの信頼は薄く、誰も彼のことを手助けしようとは思いませんでした。
もう一人は、日々コツコツと誠実に働き、人に親切にし、約束を守り、人からの信用を何よりも大切にしていました。
最初はなかなか生活も楽ではありませんでしたが、周囲の信頼が厚くなったことで、自然と仕事も増え、結果として豊かになっていきました。
この二人の違いこそが、「徳は本なり、財は末なり」の実例です。
◆なぜ「徳」が大切なのか?~背景と起源~
この言葉の背景には、儒教の「仁」や「礼」といった、人間関係における思いやりや道徳心を重視する考え方があります。
孔子は、お金や名誉そのものを否定していたわけではありません。
むしろ、それらは努力の結果として「自然に得られるもの」として認めていました。
ただし、「それを目的にしてしまうと心が乱れ、やがて自分も他人も不幸にしてしまう」と教えているのです。
現代にどう活かすか?
たとえば、就職やビジネス、家庭生活の中で、「どうすれば得をするか」よりも「どうすれば信頼されるか」を考えて行動してみる。
結果的に、まわりからの信頼が収入や人脈といった“財”となって返ってくる。
SNSの時代だからこそ、「中身」が問われる場面も増えましたよね。
見た目やフォロワー数より、「この人の言うことなら信じられる」と思われる“徳”のある人になる――それが、長く愛される秘訣ではないでしょうか。
まとめ
🌱 お金や成功は「木の実」。でもその木を育てる「根」は“徳”にある。
目に見えない根を育てることが、やがて大きな実をつける――
論語のこの教えは、今の時代にも十分通用する人生のヒントです。