085【朽木元綱】戦国を“静かに”生き残ったバランス感覚の武将

はじめに

戦国時代といえば、派手な合戦や華やかな武将が注目されがち。

でも実は、「生き残ること」に全力を注いだ名将たちもいたのです。

朽木元綱は、そんな“知恵派”の代表格。

戦場よりも、政治とバランス感覚で名を残しました。

山奥の小さな国から

朽木家は、近江の山間部に領地を持つ国人領主でした。

周囲は大国ばかり。

いつ飲み込まれてもおかしくない立場。

そんな中で、元綱は頭を使って生き残りを図ります。

うまく立ち回る交渉術

織田信長が台頭すると、元綱はすぐにこれを支持。

明智光秀が本能寺の変を起こすと、一時はそちらに傾きます。

でも、様子を見ながら最終的には豊臣秀吉に従います。

そして、関ヶ原では東軍(徳川)に味方。

どの大名にも深入りせず、

でも敵にもしない“中立ギリギリ”のスタイルでした。

合戦よりも知恵で生きた

元綱は、戦の武勇で名を上げたわけではありません。

けれど、幕府の公式記録に名を連ねるほど、政治的な信頼は厚かったのです。

戦国という激しい時代を、ほとんど戦うことなく乗り切ったその生き様。

これはこれで、すごい才能です。

江戸時代まで家を残す

結果、朽木家は江戸時代に入っても大名として存続。

最終的には丹波・福知山藩主となり、幕末まで家を守りきりました。

これも元綱が築いた「土台」のおかげでした。

おわりに:静かなる勝者

戦国時代の勝者とは、必ずしも戦場で勝った者だけではありません。

朽木元綱のように、大名たちの間をうまく渡りながら生き残った者もまた、勝者です。

派手ではないけど、確かな生存力。

そんな“静かなる戦国武将”、ぜひ覚えておいてください。