はじめに
戦国時代といえば、派手な合戦や華やかな武将が注目されがち。
でも実は、「生き残ること」に全力を注いだ名将たちもいたのです。
朽木元綱は、そんな“知恵派”の代表格。
戦場よりも、政治とバランス感覚で名を残しました。
山奥の小さな国から
朽木家は、近江の山間部に領地を持つ国人領主でした。
周囲は大国ばかり。
いつ飲み込まれてもおかしくない立場。
そんな中で、元綱は頭を使って生き残りを図ります。
うまく立ち回る交渉術
織田信長が台頭すると、元綱はすぐにこれを支持。
明智光秀が本能寺の変を起こすと、一時はそちらに傾きます。
でも、様子を見ながら最終的には豊臣秀吉に従います。
そして、関ヶ原では東軍(徳川)に味方。
どの大名にも深入りせず、
でも敵にもしない“中立ギリギリ”のスタイルでした。
合戦よりも知恵で生きた
元綱は、戦の武勇で名を上げたわけではありません。
けれど、幕府の公式記録に名を連ねるほど、政治的な信頼は厚かったのです。
戦国という激しい時代を、ほとんど戦うことなく乗り切ったその生き様。
これはこれで、すごい才能です。
江戸時代まで家を残す
結果、朽木家は江戸時代に入っても大名として存続。
最終的には丹波・福知山藩主となり、幕末まで家を守りきりました。
これも元綱が築いた「土台」のおかげでした。
おわりに:静かなる勝者
戦国時代の勝者とは、必ずしも戦場で勝った者だけではありません。
朽木元綱のように、大名たちの間をうまく渡りながら生き残った者もまた、勝者です。
派手ではないけど、確かな生存力。
そんな“静かなる戦国武将”、ぜひ覚えておいてください。