084【脇坂安治】秀吉子飼いの水軍武将、ゆらぐ関ヶ原の選択

はじめに

戦国時代、
多くの武将が主君のため、家のために戦いました。

その中には、悩み、迷いながらも戦場に立った男もいます。

脇坂安治は、そんな“ゆらぎ”を抱えた武将のひとりです。

秀吉のもとで頭角を現す

安治は近江出身。

最初は浅井家に仕えていましたが、浅井家が滅びると、豊臣秀吉に仕えるようになります。

若くして水軍を任され、戦場での働きは見事なものでした。

水軍武将として活躍

脇坂隊は、特に水上戦に強く、九州征伐や朝鮮出兵では船団を指揮しました。

秀吉の信頼も厚く、諸将の中でも重要な位置にいた存在です。

名将・加藤嘉明らと並んで「秀吉子飼いの七本槍」に数えられることも。

関ヶ原のゆらぎ

1600年、天下分け目の関ヶ原の戦い。

安治は当初、西軍として布陣します。

けれど、戦いの最中に寝返り、東軍に加勢。

これにより、戦の流れは一気に東軍有利へと傾きました。

この寝返り、じつは事前に密約があったとも言われています。

生き残るための決断

安治の寝返りには賛否があります。

裏切りと見るか、家を守る現実的な選択と見るか。

けれど、この判断があったからこそ、彼は戦後も領地を保ち、生き延びることができました。

その後は伊予・大洲藩の初代藩主となり、統治に尽力します。

おわりに:武士のリアルな選択

脇坂安治の人生は、忠義と現実の狭間で揺れた武士の姿を映し出しています。

すべてがまっすぐな時代ではないからこそ、迷いながらも選び取った生き方に、重みがあります。

歴史の陰でこそ光る、そんな武将でした。