034【大友宗麟】南蛮文化に魅せられた、信仰と夢のキリシタン大名

戦国武将と聞くと、刀を振るい、陣を張るイメージが強いですよね。

でも中には、戦国という荒波の中で“信仰”や“文化”を武器に生き抜いた人物もいるのです。

その一人が――大友宗麟おおとも そうりん

キリスト教に改宗し、西洋文化を愛した異色の大名。

まるで映画の主人公のような、彼の一生をやわらかくドラマチックにご紹介します♪

九州の名門、大友家に生まれる

大友宗麟は1530年、豊後国(現在の大分県)で大友義鎮おおとも よししげとして誕生。

父・義鑑よしあきの跡を継ぎ、大友家の当主となったのはまだ若い頃でした。

もともと九州を代表する名門だった大友家。

宗麟そうりんもまた、初期の頃はそのカリスマ性と戦略眼で勢力を拡大し、なんと九州の6か国を支配する大大名へと成長します!

この勢いは、あの織田信長にも匹敵するほど。

一時は「西の大友、東の織田」とも言われていたんです。

心を奪われた、西洋文化とキリスト教

そんな宗麟そうりんが特に心を寄せたのが――南蛮文化(西洋文化)

ポルトガルの宣教師たちと接する中で、美術や音楽、医術などの西洋の知識に魅了されていきます。

やがて彼は洗礼を受け、「フランシスコ」というキリスト教徒の名を持つように。

そして自身の領土でも積極的にキリスト教の布教を推進します。

教会や学校を建てるなど、信仰と文化への情熱は本物。

当時としてはとても先進的なリーダーだったんですね♪

戦国の厳しさ、宗麟の挫折

しかし――

信仰と現実のはざまには、厳しい運命も待ち構えていました。

1586年、勢いを増した島津軍が宗麟そうりんの領地に迫ります。

宗麟はキリスト教に深く傾倒するあまり、政務を家臣に任せきりにしており、その結果、家臣団の結束が弱まり、大友家は連戦連敗。

ついには本拠地・豊後にも島津軍が侵攻してきます。

ここで宗麟は、豊臣秀吉に援軍を要請。

この動きが、秀吉の九州平定へと繋がっていくのです。

宗麟自身は命をつなぎましたが、かつての勢力を取り戻すことはできませんでした。

おわりに

大友宗麟おおとも そうりんの人生は、戦国時代にあって異彩を放ちます。

強さを誇った若き日。

信仰に生きた壮年期。

そして理想と現実に揺れた晩年。

刀ではなく信念で、戦だけでなく文化と向き合いながら生きたその姿は、まさに“信仰と理想に殉じた戦国大名”と呼ぶにふさわしい人物です。

歴史は武勇ばかりじゃない――

そんなことを教えてくれる、魅力たっぷりの武将です。