
戦国時代のヒーローたちは、どれも個性的でドラマチック。
でも、主役じゃなくても強烈な存在感を放った人物がいます。
今回ご紹介するのは、「三成に過ぎたるもの」と称された最強の補佐役――
島左近!
武将としての実力はもちろん、信じた道を曲げない一本筋の通った生き様が、現代でも多くのファンを惹きつけています。
それでは、忠義と誇りを貫いた島左近の物語、スタートです!
武芸と信念を持つ戦国のプロフェッショナル
島左近は、奈良県(大和国)出身とされる人物。
生年ははっきりしていませんが、1540年前後に生まれたと考えられています。
本名は、島清興といい、「左近」は通称。
武士としての才能と人格を併せ持った、まさに戦国の職人のような存在でした。
初期の経歴は謎が多いものの、筒井順慶に仕えたのち、浪人となっていたところを石田三成にスカウトされたことで、歴史の表舞台に登場します。
「三成に過ぎたるもの」――破格の待遇と信頼
石田三成が左近に声をかけたのは、秀吉の家臣として活躍していたころ。
「自分にとって必要不可欠な存在だ」と、なんと自身の俸禄の半分を与えて左近を召し抱えたという逸話が残っています。
これは当時としては異例中の異例。
それだけ三成が、左近の人格と武勇を信頼していたという証拠です。
この話から生まれた有名な言葉が、
「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」
左近が、いかに三成の家臣として破格の存在だったかがよくわかりますね。
関ヶ原の前哨戦と、命をかけた戦い
関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城攻めでは、左近が軍の中心となって大活躍。
その武勇と指揮能力の高さで、西軍の士気を大いに高めました。
そして迎えた本戦――関ヶ原の戦い。
島左近は西軍の主力として前線に立ち、勇猛果敢に東軍と戦いましたが、激戦の中で銃撃により重傷を負い、姿を消します。
その後の生死は不明。討ち死にしたとも、密かに生き延びたとも言われています。
まさに「最後まで伝説を残す男」。
その生き様は、まるで小説のようです。
おわりに
島左近の魅力は、ただの「強さ」だけではありません。
武士としての誇り、忠義、信念を貫いた精神の強さこそが、多くの人の心を打つ理由なんです。
時代の流れに逆らっても、自分が信じた主君に従い、命を賭けて戦った姿――
その姿勢は、まさに「戦国の美学」を体現していたといえるでしょう。
今でも島左近は、「理想の家臣」「理想の武士」として、歴史ファンから熱い支持を受け続けています。
静かに、でも確かに、彼の名は永遠に語り継がれることでしょう。