真木和泉守。
長州でも薩摩でもない。
それでも彼の一念は、時代を揺るがせた。
彼が目指したのは、尊皇攘夷のまったき実現。
それは、命を賭ける覚悟を求める道だった。
そして彼は、命ごと炎になった――。
水戸と吉田松陰と、志のはじまり
1813年、久留米藩に生まれる。
藩の儒学者の家系に育ち、学問の才に恵まれた。
しかし彼が目指したのは、ただの学者ではなかった。
志士として国を動かす道である。
水戸学と出会い、「尊皇」の思想に目覚める。
そして吉田松陰との交流が、さらにその想いを熱くさせた。
自分は何をすべきか。
それを問う人生が、はじまった。
禁門の変と、敗走
幕府の開国政策に強く反発した真木。
長州藩と手を組み、挙兵を計画する。
1864年、蛤御門での戦い――「禁門の変」。
彼は戦の中心にいた。
しかし形勢は不利。
炎上する京都の町を前に、長州勢は敗走した。
真木もまた、敗走する仲間と共に、天王山を越え、伏見へ。
もはや、逃げるだけの戦ではなかった。
炎の中の最期
落ち延びた先は、山城国の船宿・大黒屋。
すでに包囲され、逃げ場はない。
そこで真木は、最後の決断を下す。
「我ら、ここで果てよう」
自ら火を放ち、炎の中で命を終えた。
その炎は、一瞬で消えた。
だが志は、決して消えなかった。
まとめ:燃えるために、生きた男
真木和泉守は、勝者ではない。
だが、誰よりも真っ直ぐだった。
彼が求めたのは、ただの変革ではなく、精神の革命だった。
命を燃やす覚悟。
志のために、すべてを賭ける潔さ。
その生き様が、後の維新志士たちに火をつけた。
だから今も、その名は炎と共に語られる。
真木和泉守――燃えることにこそ、生きた男だった。