
こんにちは!
今回紹介するのは、老子の『道徳経』に出てくる有名な言葉、
「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」
です。
「禍(わざわい)」とは、災難や不幸のこと。
「福(ふく)」とは、幸せや幸運のことです。
この言葉を簡単に言うと、
「不幸の中には幸せの種があり、幸せの中には不幸の種が隠れている」
という意味になります。
人生には、思い通りにいかないことがあります。
仕事でうまくいかなかったり、人間関係で悩んだり、楽しみにしていたことがなくなったり。
反対に、仕事が順調で毎日が充実しているときもあります。
でも、老子は「今つらいから不幸」「今うまくいっているから幸せ」と、目の前の出来事だけで簡単に判断することはできない、と考えているんですね。
今回は、たとえ話を交えながら、この言葉が私たちの人生にどんなことを教えてくれるのか紹介します。
ことばの意味
「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」は、
「不幸だと思っていることの中に幸せが寄り添い、幸せだと思っていることの中にも不幸が潜んでいる」
という意味です。『老子』第58章に出てくる言葉です。
ここで大切なのが、「禍」と「福」は完全に別々のものではない、という考え方です。
たとえば、仕事で大きな失敗をしたとします。
そのときは、
「最悪だ……」
と思うかもしれません。
ところが、その失敗がきっかけで仕事のやり方を見直し、以前より成果が出るようになることがあります。
逆に、何もかも順調だからと安心しきっていると、思わぬところから問題が起こることもあります。
つまり、
「今の状態だけを見て、幸せか不幸かを決めることはできない」
ということです。
これは、人生を長く経験するほど、実感することかもしれません。
「あのときは本当に大変だったけれど、今思えば、あの経験があったからよかった」
そんな出来事が、一つや二つはあるのではないでしょうか。
人生は、その瞬間だけを切り取ると「失敗」に見えることでも、時間がたつと意味が変わることがあります。
だからこそ、うまくいかないときに、
「これで全部終わりだ」
と決めつけないこと。
そして、うまくいっているときにも、
「これで安心だ」
と油断しないこと。
老子の言葉には、そんな冷静な人生観が込められています。
たとえ話
あるところに、会社員のAさんとBさんがいました。
二人は同じ会社で働いていましたが、ある年、大きな人事異動がありました。
Aさんは希望していた部署に異動することになりました。
給料も上がり、周囲からも、
「よかったですね!」
と言われます。
Aさん自身も、
「これで仕事は順調だ」
と喜んでいました。
一方、Bさんは希望とはまったく違う部署への異動になりました。
慣れない仕事ばかりで、最初は失敗の連続。
「どうして自分が……」
と落ち込んでしまいます。
ところが、しばらくすると二人の状況が少しずつ変わってきました。
Aさんは、新しい部署で仕事が順調だったため、次々と大きな仕事を任されるようになります。
しかし、忙しさも一気に増えました。
責任が重くなり、家に帰ってからも仕事のことを考える日が続きます。
一方のBさんは、最初こそ苦労しましたが、少しずつ仕事を覚えていきました。
それまで経験したことのない仕事だったため、新しい知識や技術も身につきました。
そして数年後。
Bさんは、その経験を買われて新しいプロジェクトの中心メンバーになります。
「あのときは異動を恨んだけれど、今思えば、あの経験があったからこそ今の自分があるんだな」
Bさんはそう思いました。
もちろん、これは単純に「不幸が必ず幸せになる」という話ではありません。
大切なのは、そのときの出来事だけでは、人生の最終的な結果まではわからないということです。
この話のように、今は「禍」に見える出来事が、後になって「福」につながることがあります。
反対に、「福」に見える出来事の中に、思わぬ問題が隠れていることもあります。
だから老子は、
「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」
と説いたのでしょう。
ことばの起源
この言葉の出典は、中国の思想家・老子の『道徳経』です。
『道徳経』第58章には、
「禍兮福之所倚、福兮禍之所伏」
と記されています。
書き下すと、
「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」
となります。
「倚る」は「寄りかかる」、「伏する」は「身を隠す、潜む」といった意味です。
つまり、
「禍の中には福が隠れ、福の中には禍が潜んでいる」
というイメージです。
なお、この言葉は単純な「つらいことがあっても、そのうち良いことがあるよ」という慰めだけを説いたものではありません。
第58章の前後を見ると、物事には「絶対にこれが正しい」という一つの基準を決めることは難しく、良いものが悪いものに変わったり、正しいと思っていたものが別の見方ではそうでなくなったりする、という話につながっています。
ここが、老子らしいところです。
「だから、何が起きても前向きに考えよう」というだけではありません。
「目の前の出来事だけで、人生を簡単に判断しないほうがいい」
という、もっと深い教えなんですね。
この「禍と福は簡単には分けられない」という考え方は、日本でも人生について考えるときの教えとして受け止められてきました。
「人生、何が起こるかわからない」と言いますが、そんな人生の不確かさを、老子は何千年も前から見つめていたわけです。
おすすめ書籍
『ノンキャリ外交官 万事塞翁が馬の半生記』(著:中村一博)
英語が苦手で、外国人に声をかけることさえ苦手だった著者が、外務省に入り、スペイン語の専門職として28年間にわたって海外で勤務した半生を綴った一冊です。
陛下のスペイン語通訳を務めるまでになった著者の歩みからは、人生が思い通りにならないからこそ、思いがけない道が開けることもあると感じられます。
最初は不運や苦労に見えた出来事が、後になって新しい道につながることがあります。
今回の「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」を、実際の人生から考えるきっかけになる一冊です。
まとめ
今回は、
「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」
という老子の言葉を紹介しました。
意味は、
「不幸の中には幸せが潜み、幸せの中には不幸が潜んでいる」
ということです。
人生では、良いことばかりが続くわけではありません。
反対に、悪いことがずっと続くわけでもありません。
今はつらく感じる出来事が、何年か後には自分を成長させてくれた経験になっていることもあります。
だから、何かうまくいかないことがあったときは、
「これは自分にとって本当に悪いことなのだろうか?」
と、少しだけ立ち止まって考えてみる。
そして、順調なときには、
「この状態がずっと続くとは限らない」
と、少しだけ気を引き締める。
それくらいの距離感で人生を見ると、目の前の出来事に振り回されにくくなるかもしれません。
人生の「福」と「禍」は、きれいに線を引いて分けられるものではありません。
だからこそ、今の出来事だけで、自分の人生を決めつけなくてもいいのです。
それでは、また次回👋