
「徳川吉宗って、どんな人だったの?」
「暴れん坊将軍」のイメージはあっても、実際に何をした人なのかは、意外と知らないものです。
徳川吉宗は、江戸幕府の8代将軍として、財政が苦しくなった幕府を立て直そうとした人物です。
ムダを減らし、人の意見を聞き、新しい仕組みを取り入れました。
その代表が「享保の改革」です。
質素な生活をすすめたり、農業を大切にしたり、庶民の声を聞く「目安箱」を設けたりしました。
今回は、徳川吉宗がどんな人生を送り、どんな改革を行ったのかを紹介します。
徳川吉宗、将軍になるまでの意外な人生
徳川吉宗は1684年、紀州徳川家の四男として生まれます。
将軍になるような立場ではありませんでした。
ところが、兄が亡くなったことで、吉宗は紀州藩主となります。
その後、将軍の後継者として注目されます。
ここから人生が大きく変わります。
吉宗は紀州藩主になると、藩の財政を立て直すことに力を入れます。
さらに、藩政の改革にも取り組みます。
そして1716年、徳川幕府の8代将軍になります。
当時の幕府は、財政が苦しい状態にありました。
そこで吉宗は、まず自分たちの生活から見直します。
ぜいたくを減らし、質素な生活をすすめます。
さらに、身分だけで判断せず、能力のある人を政治に登用します。
自分の身近なところから変える姿勢は、後の改革にもつながります。
享保の改革で幕府を立て直します
吉宗が将軍になって取り組んだのが「享保の改革」です。
目的は、苦しくなった幕府の財政を立て直すことです。
そのために、ムダな支出を減らし、農業を盛んにする政策を進めます。
米を重視する政策を進めたことから、「米将軍」と呼ばれることもあります。
吉宗は、ただ命令するだけではありません。
庶民の意見を集めるため、「目安箱」を設置します。
目安箱には、政治についての意見や暮らしの相談などが寄せられます。
さらに、医療施設の「小石川養生所」も設けます。
裁判の基準をまとめた「公事方御定書」も作られます。
このように吉宗は、政治の仕組みそのものを見直します。
すべてが成功したわけではありません。
それでも、問題を見つけて仕組みを変える姿勢は大きな特徴です。
吉宗が残したものは「まず仕組みを変える」という発想
吉宗の政治には、今の生活にも通じる考え方があります。
それは、問題が起きたときに、気合だけで解決しないことです。
吉宗は、支出を減らし、人の意見を聞く仕組みを作ります。
そして、能力のある人を登用して、政治を変えようとします。
「もっと頑張れ」と言うだけではありません。
どうすれば問題が減るのかを考え、仕組みを変えます。
これは、仕事や暮らしにも応用できる考え方です。
うまくいかないときは、自分を責める前に方法を見直します。
吉宗は1745年に将軍職を退き、1751年に68歳で亡くなります。
将軍として約30年にわたり、江戸幕府の立て直しに取り組みました。
その生涯から学べるのは、頑張るだけではなく、仕組みを変える問題解決の考え方です。
まとめ
徳川吉宗は、江戸幕府の8代将軍として「享保の改革」を行った人物です。
質素倹約、農業の振興、目安箱の設置など、多くの改革を行います。
特に興味深いのは、庶民の声を聞く仕組みを作ったことです。
自分だけで考えず、周りの意見を集めて政治に生かします。
そして、問題があれば仕組みそのものを見直します。
これは、現代の仕事や暮らしにも通じる考え方です。
「頑張っているのに、なぜかうまくいかない」
そんなときは、努力を増やす前に方法を変えてみます。
徳川吉宗の生涯は、そんなヒントを私たちに与えてくれます。
おすすめ書籍
『徳川吉宗』(著:斎藤晴輝)
徳川吉宗がどのようにして8代将軍となり、幕府の立て直しに取り組んだのかを、物語としてわかりやすく読める一冊です。
財政の引き締めや人材登用など、記事で紹介した「享保の改革」もしっかり描かれています。
難しい歴史用語ばかりではなく、吉宗の波乱に満ちた人生を追いながら読めるため、歴史が少し苦手な人にもおすすめです。
記事を読んで「吉宗について、もう少し知りたい」と思った人にぴったりの入門書です。
講談社の「火の鳥伝記文庫」から刊行された、読みやすい伝記です。