084【朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり】(あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり)

「ほんとうに大事なこと」に出会えたら、それだけで人生は満たされる

私たちは日々、何かを求めて生きています。

知識、成功、お金、安心感、愛情――

けれど、それらの“手段”にばかり目を奪われて、

「本当に大切なことは何か?」を、見失いがちではないでしょうか。

そんな現代の私たちに、2500年前の孔子が放った、心に刺さる言葉があります。

それが、

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

という言葉です。

たとえ話

ある若者が、旅の途中で山奥に住む老教師に出会いました。

「人生って、何のためにあるんですか?」と若者は問います。

老教師は少し微笑んでこう言いました。

「私も長く生きてきたが、“生きる意味”は一言で言える。

それは、“人としてどう生きるか”を知ること。

もし君がそれに気づけたなら、明日死んだとしても、もう悔いはないよ。」

若者は深く考え込み、その旅の中で自分なりの“道”を見つけていきました。

言葉の意味と背景

この言葉は、『論語』の「里仁りじん」篇に登場します。

子曰、朝聞道、夕死可矣。
(し のたまわく、あしたに みちを きかば、ゆうべに しすとも かなり)

意味は、

「朝に“道”(=人としての正しい生き方、真理)を知ることができたのなら、その日の夕方に死んでも悔いはない」

ということ。

ここでいう「道」は、単なる知識や情報ではありません。

人生の本質や、自分がどう生きるべきかという“真理”のことです。

孔子は、名声や富よりも、何よりも「人としての道(どうあるべきか)」を知ることが尊いと考えていました。

それを知ることができれば、人生は長さよりも深さで価値が決まる

――そんな価値観が込められています。

まとめ

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という言葉は、

私たちに「何を大切にして生きるか」を問いかけてきます。

毎日忙しく過ごす中で、ふと立ち止まり、

「自分の“道”はどこにあるのか」と考える時間を持ってみませんか?

その“道”を見つけたとき、人生は驚くほどシンプルで豊かになります。