020【士は己れを知る者の為に死す】(しはおのれをしるもののためにしす)

こんにちは!

今日は、論語ではありませんが、

おのれをものためす」

について、わかりやすく紹介します!

「本当に自分を理解してくれる人のためなら、命も惜しまない」——そんな意味を持つ言葉ですが、なぜこんな言葉が生まれたのでしょうか?

また、私たちの生活にはどう関係があるのでしょう?

たとえ話も交えて解説していきます!

ことばの起源

この言葉は『史記しき』という歴史書にしるされている話が元になっています。

春秋時代しゅんじゅうじだいの武将、豫譲よじょう という男がいました。

彼は才能がありながらも、なかなか世間に認められず苦しんでいました。

そんな彼を見いだしたのが、知伯ちはくという主君しゅくんでした。

豫譲よじょう知伯ちはくに忠誠を誓い、一生懸命仕えました。しかし、あるとき知伯は敵に討たれてしまいます。

豫譲よじょうは深く悲しみ、「自分を認めてくれた知伯のために、あだを討つ!」と誓います。

そして、知伯を倒した武将・趙襄子ちょうじょうしを狙うのですが、何度も失敗し、最後には捕まってしまいました。

趙襄子は言いました。

「もうお前には仕える主君はいないのだから、ここで生きてはどうだ?」

しかし、豫譲は答えました。

「士は己を知る者の為に死す——私を本当に理解してくれた知伯のために、私は命を懸けるのです」

そう言って、自ら命を絶ったのです。

この話がもとになり、「士は己を知る者の為に死す」という言葉が生まれました。

たとえ話

さて、「命を懸ける」なんて、現代ではなかなか考えにくい話ですよね。

でも、この言葉は今の私たちの人間関係にも当てはまります。

たとえば、会社の上司と部下の話 を考えてみましょう。

Aさんは、どの上司にも評価されず、ただの「歯車」のように扱われていました。

しかし、新しい上司Bさんは、Aさんの努力をしっかり見てくれました。

そして、「君の仕事は素晴らしい!もっと挑戦してみては?」と応援してくれたのです。

Aさんは、「この人のためなら全力で頑張ろう!」と思い、仕事に打ち込むようになりました。

これはまさに「士は己を知る者の為に死す」の現代版。

「本当に自分を理解し、大切にしてくれる人のためなら、どこまでも頑張れる!」

という気持ちは、今も昔も変わらないのです。

まとめ

「士は己を知る者の為に死す」とは、

「自分を本当に理解してくれる人のためにこそ、人は全力を尽くす」

という意味の言葉です。

これは「命を懸ける」という話にとどまらず、私たちが誰と一緒に働き、どんな人と関わるかを考えるうえで、とても大事な考え方です。

もし、あなたの周りに「この人は自分を理解してくれる!」と思う人がいたら、その人を大切にしてください。

そして、逆に誰かの「己を知る者」になれるように、相手を理解しようとすることも大事ですね。

それでは、また次の論語の話でお会いしましょう!