010【徳は孤ならず、必ず隣あり】(とくはこならずかならずとなりあり)

「いいことをしても報われないんじゃないか……」

そんな風に思ったことはありませんか?

でも、論語にはこんな言葉があります。

とくならず、かならとなりあり」

これは、どんな意味なのでしょうか?

また、本当にそうなのか?

今回は、この言葉の意味を、たとえ話を交えながらご紹介します。

「徳は孤ならず、必ず隣あり」の意味と起源

この言葉は、孔子の弟子たちがまとめた『論語』(里仁第四)に出てきます。

とくならず、かならとなりあり」

簡単に言うと、

「本当に徳のある人は決して孤独ではない。必ず共感し、助けてくれる人が現れる」

という意味です。

「徳」というのは、人徳やい行いを指します。

誰も見ていなくても、誰かに評価されなくても、誠実で善い行いを続ける人は、やがてそれを認めてくれる仲間ができる、という教えなのです。

では、本当にそうなのか?

あるストーリーを通して考えてみましょう。

たとえ話

ある日の電車の中。

高校生のケンは、座席に座ってスマホをいじっていました。

ふと顔を上げると、おばあさんがつり革につかまりながら立っています。

「どうしよう……誰も席を譲らないな」

少し迷いましたが、ケンは意を決して立ち上がり、「どうぞ」とおばあさんに席を譲りました。

しかし、周りの大人たちはスマホを見ているだけ。

「ありがとうねぇ」とおばあさんは微笑んだけれど、なんとなく「なんで自分だけ?」という気持ちがよぎりました。

しかし、次の駅で乗ってきたサラリーマンが、ケンに声をかけました。

「君、えらいね。こういうのが本当の優しさだよ」

その人は、ケンに缶コーヒーを買って渡しました。

それを見ていた他の乗客も、次の駅で年配の人が乗ってくると、すっと席を譲る人が増えていきました。

ケンは思いました。

「僕ひとりじゃなかったんだ。ちゃんと見ている人がいるんだ」

「善い行いは、決して孤独じゃない」

この話のように、最初は一人だと思っても、誠実な行いはやがて誰かが気づき、共感し、広がっていきます。

最初に行動を起こすのは勇気がいることです。

でも、長い目で見れば、それは決して「孤独なもの」ではありません。

これこそが、孔子が言った「とくならず、かならとなりあり」の真意なのです。

まとめ:善い行いを続けよう

「こんなことしても、意味ないかも……」

そう思うことがあっても、本当に大事なことは、ちゃんと誰かが見ているのです。

最初は一人でも、やがてそれを認める仲間が増えていきます。

だからこそ、自分が信じる「いこと」を続けていきましょう。

きっと、あなたの隣にも、同じ想いの人が現れるはずです。

それこそが、「徳は孤ならず、必ず隣あり」の教えなのです。