はじめに
戦国時代といえば、名だたる武将たちがしのぎを削った激しい時代。
そんな中でも、ひときわ豪快で破天荒な生き方をした武将がいました。
その名も、森長可。
「鬼武蔵」の異名を取った彼のドラマチックな生涯、いっしょに追いかけてみましょう!
武勇の家に生まれる
1561年、美濃国(今の岐阜県)で森家の長男として生まれた長可。
父は森可成、弟には有名な森蘭丸もいるという、まさに”戦国エリート”一家でした。
少年時代から武芸に優れ、
「将来、きっととんでもない武将になるぞ」
と周囲からも一目置かれていた存在だったとか。
若くして家督を継ぐ
父・可成が戦死すると、まだ10代半ばだった長可が家督を継ぐことに。
幼いながらも家をまとめ上げ、信長の命で領地を拡大していきます。
特に、信長から与えられた信濃国の木曽谷では、地元の豪族たちを相手に豪快な戦いぶりを見せ、たちまち「森長可、恐るべし!」とその名を轟かせました。
このころから、長可には「鬼武蔵」の異名がつきはじめます。
戦場で暴れまわる
長可のすごいところは、とにかく戦場での圧倒的な突進力!
槍を手にして真っ先に敵陣へ突っ込み、圧倒的な武勇で道を切り開く姿は、まるで鬼神のようだったと伝わります。
「一番槍(最初に敵陣に突っ込むこと)は俺のものだ!」
そんな勢いでどんな戦にも果敢に飛び込んでいったのです。
ときには無茶にも思えるその戦いぶりが、逆に家臣や兵たちの士気をグッと高めたとか。
本能寺の変後、波乱の運命
1582年、あの本能寺の変が起こり、織田信長が討たれると、長可もまた混乱の渦に巻き込まれます。
信長亡きあと、各地の織田家臣たちが権力争いを始める中、長可は一族を守るために必死に立ち回りました。
豊臣秀吉のもとで再起を目指し、重要な戦いにも参加していきます。
壮絶な最期
1584年、小牧・長久手の戦いにおいて、長可は激戦の中で壮絶な討死を遂げます。
まだ20代半ば――
これからという若さで、燃え尽きるようにその生涯を閉じました。
最後まで突き進むその姿は、まさに鬼武蔵の名にふさわしいものでした。
おわりに:命を燃やし駆け抜けた「鬼」
森長可は、常識や安定にとらわれることなく、とにかく自分の武を信じ、戦場を駆け抜けました。
豪快で、無鉄砲で、だけどどこか憎めない――
そんな人間味あふれる武将だったのかもしれません。
短くも濃い人生を生ききった長可の生き様は、今も多くの人を惹きつけてやみません。