はじめに
天下統一を目指した戦国のカリスマ、織田信長。
その後継者として期待されていたのが、長男の織田信忠です。
若くして大役を担い、運命に翻弄された彼の生涯を、ドラマチックに追いかけてみましょう!
エリート街道まっしぐら
1557年、織田信長の嫡男として誕生した信忠。
その時点で「将来、天下を背負う男」として大きな期待がかかっていました。
幼いころから武芸や学問をたたき込まれ、まさに”完璧な跡取り”として育てられます。
家中からも「さすが信長の息子!」と認められる器量を見せていました。
若き総大将としての活躍
信忠が注目を集めたのは、戦場での活躍。
有名な武田氏討伐では、総大将として出陣し、あの名門・武田家を滅ぼす大功を立てたのです。
初陣でこの大仕事を成し遂げるなんて、ただ者じゃありません!
信長も、「こいつなら安心して跡を任せられる」と太鼓判を押したほど。
これから本格的に、信長の天下統一の夢を引き継いでいく――
そんな未来が、確かに見えていました。
本能寺の変、そして運命の最期
しかし、運命は残酷でした。
1582年、あの本能寺の変が勃発します。
父・信長が明智光秀の謀反に遭った知らせを受けた信忠は、ただちに救援に向かおうと動きます。
しかし、すでに光秀軍の包囲網は狭まっており、やがて信忠自身も二条新御所に追い詰められてしまいました。
最後の最後まで抵抗し続けた信忠でしたが、力及ばず、20代半ばという若さで討死を遂げます。
若き才能を惜しむ声
もし信忠が生き延びていたら――
織田家はもっと違った未来を歩んでいたかもしれない。
そんな声が今も語り継がれるほど、信忠は若くして完成された将だったといわれています。
彼の死によって、織田家の天下統一の道は一気に混迷を深めていったのです。
おわりに:夢半ばで散った若き跡取り
織田信忠は、父・信長に勝るとも劣らない才能を持ちながら、わずか数年の活躍でその生涯を終えました。
無念だったに違いありませんが、最後まで「織田家の嫡男」として堂々たる最期を遂げたその姿は、今も私たちの胸に深く刻まれています。