はじめに
「最後の将軍」と聞くと、幕末の徳川慶喜を思い浮かべるかもしれませんが――
室町幕府にも“最後の将軍”がいました。
その名は、足利義昭。
彼は戦国の世を、将軍としてどうにかまとめようと苦闘した、ある意味とても人間らしい人物。
今回はそんな義昭の、ちょっと切なくて、それでも希望を捨てなかった生涯をお届けします。
僧から将軍へ!波乱のスタート
足利義昭は1537年、室町幕府第12代将軍・足利義晴の息子として生まれます。
お兄さんは「剣豪将軍」こと足利義輝。
義昭は元々、将軍になる予定ではなく、お寺に入って僧侶としての人生を歩んでいました。
でも、お兄さんが政敵に殺されるという悲劇が起こり、運命が大きく動き出します。
「このままでは幕府が終わってしまう…!」
義昭は剃髪を解き、兄の志を継ぐために、将軍になる決意をするのです。
織田信長との運命の出会い
とはいえ、幕府の権威は地に落ち、義昭には将軍になる力も後ろ盾もない…。
そんな彼が頼ったのが、尾張の若き英雄――織田信長でした。
「あなたの力で将軍になりたいんです!」
そう熱望する義昭に、信長は快く協力し、上洛を果たします。
そして1568年、足利義昭はめでたく第15代将軍に就任。
一見すると、めでたしめでたし――
のようですが、ここからが義昭の本当の試練の始まりでした。
将軍だけど…実権はナシ!?
義昭の悩みは、「自分は将軍なのに、全部信長が決めちゃう」こと。
そう、表向きは将軍でも、実際の政治は織田信長が牛耳っていたのです。
「お飾りじゃない!本物の将軍になりたい!」
そう思った義昭は、密かに信長包囲網を画策。
朝倉・浅井・本願寺・武田信玄など、反信長勢力と手を組みはじめます。
「さすがにやりすぎでは…?」
という声もある中、義昭は自分の理想を貫こうとしました。
そして、幕府は終わりを告げる
しかし、相手はあの織田信長。
包囲網は次々と崩され、1573年、ついに義昭は信長によって京都から追放されてしまいます。
室町幕府、ここに実質的に滅亡。
義昭はその後も大名のもとを転々としながら、再起を目指します。
特に毛利氏の庇護を受けてからも、幕府再興を願い続けていました。
でも、再び将軍の座に戻ることはありませんでした――
おわりに:理想と現実のはざまで生きた、最後の将軍
足利義昭は、戦国時代に翻弄された“将軍らしくなかった将軍”かもしれません。
けれど彼は、誰よりも「幕府を守りたい」「平和な世を取り戻したい」と願っていました。
将軍の権威が地に堕ちた時代に、彼は諦めることなく、理想を抱き続けた人物だったのです。
室町幕府という大きな時代の幕を閉じた義昭。
その生き様は、今も「誇り高きラスト将軍」として語り継がれています。