046【五代友厚】商都・大阪をつくった維新の異才

五代友厚。

薩摩藩出身の志士であり、維新後の日本経済の礎を築いた男。

政治家ではない。軍人でもない。

けれど彼なくして、日本の近代は語れない。

混乱の幕末を駆け抜け、明治の世に「商業国家・日本」の未来を見ていた。

西郷でも、大久保でもなく。

この男が、大阪の未来を背負った。

若き日の薩摩藩士

1836年、薩摩藩に生まれた五代友厚(幼名・徳夫)。

学問に秀で、早くから異国の文化にも関心を持っていた。

幕府が鎖国をゆるめるなか、彼はイギリス行きを志す。

そして藩命を受け、長崎でオランダ語を学び、上海・ヨーロッパを歴訪する。

時代の最前線で世界と出会った青年は、帰国後、「この国には経済の力が要る」と痛感する。

倒幕の裏で動いた頭脳

討幕戦争が激化する中、五代は表立って剣を振るうことはなかった。

だが、諸外国との交渉や、情報収集、資金調達――そのすべてに関わっていた。

イギリス商人グラバーとの関係も深く、薩長同盟の影の立役者ともいわれる。

五代は常に「戦の後」を見ていた。

国を動かすためには、経済の仕組みが必要なのだと。

大阪経済の父になる

明治維新後、五代は大阪に移り住む。

衰退していた商都・大阪を「再び日本一の経済都市に」と立ち上がる。

大阪株式取引所の創設、商法講習所(後の一橋大学)の設立、鉄道事業や銀行設立など、

彼が関わった近代化の基盤は、数えきれない。

実業家として、教育者として、そして街づくりの先導者として。

五代は、大阪の人々に「商いの誇り」を取り戻させた。

静かに、しかし確かに去る

華やかな役職に就くことなく、五代は志を貫いた。

政争には加わらず、常に市井に生き、街を見つめていた。

1885年、49歳で急逝。

その死は静かだったが、彼が遺したものは今も大阪に息づいている。

まとめ:維新の影にいた未来人

五代友厚は、剣でも政でもなく、「経済」で国を支えた。

明治の混乱のなか、唯一「未来」を見ていた人物かもしれない。

「商いが、この国を豊かにする」

そう信じ、静かに行動した五代。

今、大阪証券取引所の前には彼の銅像が立っている。

その姿は、今も未来を見据えているかのように――。