045【橘曙覧】ただ一人、ただ一首に生きた歌人

橘曙覧。

福井藩の下級武士でありながら、幕末の京にその名を知られた歌人。

彼の人生は、決して華やかではなかった。

だが、一首一首に込めた言葉は、時代を超えて響く。

「たのしみは〜」から始まるその短歌は、天皇の心をも打った。

慎ましく、まっすぐに、彼は詠んだ。

人の世の幸せとは何かを。

学問と詩の道

橘曙覧は、文化8年(1811年)、越前国福井に生まれた。

若くして学問に目覚め、国学や和歌、漢詩に親しんだ。

だが、その道は険しかった。

家は裕福ではなく、職も定まらず、失意のうちに隠棲。

それでも彼は筆を止めなかった。

日々の暮らしの中に、歌を見出していった。

たのしみは、の歌人

「たのしみは〜」で始まる一連の歌。

それは曙覧の暮らしの中での、小さな喜びの記録だった。

「たのしみは 朝起きいでて昨日まで 無かりし花の咲ける見るとき」

「たのしみは 妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時」

そこには虚飾もない、強がりもない、ただ素直な“よろこび”がある。

幕末という不安定な時代において、その穏やかさは人々の心を癒した。

後年、この歌を明治天皇が愛読し、曙覧の名は不朽のものとなる。

福井の庵から、世界へ

曙覧は生涯、福井の草庵で暮らした。

「独楽吟(どくらくぎん)」と名付けた自作の歌集に、自らの生き方を投影した。

それは派手な維新の活躍とは対極にあった。

けれど、そこにこそ“人としての誇り”があった。

やがて時代が明治へ移ると、彼の歌は“日本人の心”として見直されていく。

まとめ:小さな幸せを、堂々と

橘曙覧は、歴史の表舞台には立たなかった。

だがその詠んだ言葉は、どんな英雄の言葉よりも、まっすぐだった。

「たのしみは」――それは彼自身の生き方そのもの。

日々を愛し、人を愛し、自分を誇る。

彼は、誰もが持つ“静かな幸せ”に気づかせてくれる。

橘曙覧の歌は、今もなお、多くの人の胸にしみ渡っている。