033【小栗上野介忠順】明治を夢見て、江戸に斬られた天才官僚

小栗上野介忠順おぐりこうずけのすけただまさ

日本の「近代化」を誰よりも早く、そして具体的に進めようとした男。

幕臣でありながら、その頭の中はいつも未来を向いていた。

だが――時代は、彼を許さなかった。

彼が命をかけて用意した明治の地盤。

その上を歩いた者たちの多くが、彼の名を知らない。

けれど今、ようやく時代が追いついた。

生まれながらの秀才、海外経験で広がる視野

1827年、上野国(現在の群馬県)に生まれる。

旗本の家柄で、幼いころから勉学に秀でていた。

21歳で江戸幕府に出仕。

語学に通じ、特にフランス語に堪能だった。

やがて遣米使節けんべいしせつの随行員としてアメリカへ渡る。

西洋文明の力と仕組みを、この目で見た。

「このままでは、日本は取り残される」

帰国後、彼は幕府の財政と産業改革に全力を注ぎはじめる。

軍艦、工場、鉄道――すべては未来のために

小栗おぐりが目指したのは、武力ではなく「技術と経済」で国を守ること。

横須賀に造船所と製鉄所を建て、国内で軍艦をつくる体制を整えた。

また、鉱山の開発、ガス灯の導入、さらには鉄道敷設の計画まで――。

彼が推進した事業の多くは、のちの明治政府がそのまま引き継ぐことになる。

だが、その活躍は幕府の内外に波紋を呼んだ。

「幕臣なのに、目立ちすぎる」

「佐幕派なのに、やってることが新しすぎる」

時代の狭間に、彼の居場所はなかった。

敗戦と最期――その才、理解されず

戊辰戦争が勃発すると、小栗おぐりは一切の政治的動きを断った。

戦には加わらず、領地のある群馬に戻る。

「私は罪を犯していない。捕まる理由もない」

そう語ったが、新政府軍は彼を許さなかった。

1868年、明治元年。

彼は反逆の罪に問われ、処刑される。

享年42。

罪状も証拠もない、事実上の粛清しゅくせいだった。

まとめ

小栗忠順おぐりただまさの名は、長く歴史の表舞台から消えていた。

だが彼が横須賀で築いた工場は、後の近代海軍を支え。

彼が構想した鉄道は、日本の背骨となった。

明治の礎は、実は江戸の終わりにすでにあった。

それを黙々と整えていたのが、小栗上野介おぐりこうずけのすけという男だった。

未来を見すぎたがゆえに、理解されなかった。

だが、彼のまいた種は、日本を動かすほどの力をもっていた。

派手ではない、だが確実に時代をつくった人。

それが――小栗上野介忠順おぐりこうずけのすけただまさ