
幕末という激動の時代に、誰よりも自由を愛し、誰よりも遠くを見つめていた男――坂本龍馬。
剣の腕に秀で、仲間を大切にし、国の未来に命をかけたその姿は、今も多くの人を惹きつけています。
今回は、そんな龍馬の人生を、小説のようなタッチで、やさしく紹介していきます。
【坂本龍馬】とは?
坂本龍馬(さかもと・りょうま)は、1836年、土佐藩(現在の高知県)で生まれました。
武士の家に生まれたものの、家格は「郷士(ごうし)」と呼ばれる下級武士。
上士と呼ばれる上級武士とは身分の差があり、幼い頃からその理不尽な差別を目の当たりにします。
けれど、龍馬には不思議な魅力がありました。
大きな瞳で遠くを見つめ、人の話をよく聞き、思いやりが深い。
剣術を学ぶために江戸に出ると、その才能を開花させ、名門「北辰一刀流」の免許皆伝を受けます。
幕末の黒船と、運命の出会い
1853年、ペリーの黒船がやってきて、日本中が揺れました。
この出来事が、若き龍馬の心にも火をつけます。
「日本は、今のままじゃいかんぜよ」
世界と向き合うには、新しい考えと、新しい国のかたちが必要だ。
やがて龍馬は、土佐藩を脱藩。武士の身分を捨てて、自分の信じる道を歩き出します。
勝海舟との出会い――「剣ではなく、知恵で世を変える」
龍馬の転機となったのが、幕臣・勝海舟との出会いです。
最初は「幕府の人間だ」と斬るつもりで訪ねたものの、勝の話を聞いて驚きます。
「これからは、海軍の時代。日本も海から変えねばならん」
世界を見据える勝の考えに心を動かされ、龍馬は弟子として彼に仕えるようになります。
ここで「剣ではなく、知恵と交渉で時代を変える」道を選ぶようになったのです。
薩長同盟――不可能を可能にした交渉術
時代は混迷を極めていました。
長州藩と薩摩藩――幕府に対して反発していたこの二つの大藩は、互いに犬猿の仲。
けれど龍馬は言います。
「手を組めば、日本は変わるがぜよ」
なんども話し合いを重ね、ついに1866年、薩長同盟を実現。
この同盟が、後の「明治維新」への大きな一歩となりました。
「船中八策」と「大政奉還」
龍馬の夢は、「新しい日本」を作ること。
そのために、彼は「船中八策」という政治の改革案をまとめます。
江戸幕府を平和的に終わらせ、新たな政府を作るために――
そして、徳川慶喜に「大政奉還」を進言。
戦をせずに、時代を変えるという奇跡のような歴史を、彼は水面下で実現していきます。
最後の日――風のように去った男
1867年11月15日、京都の「近江屋」にて、龍馬は何者かによって暗殺されます。
享年33歳。
夢の途中で、あまりにも早すぎる別れでした。
けれど、彼が蒔いた種は、やがて「明治」という新しい時代に花を咲かせます。
まとめ:夢を語り、未来を見つめた坂本龍馬
坂本龍馬は、刀を振るうよりも言葉を選び、人を信じ、未来を描くことに命を燃やしました。
「自分は日本の洗濯をしたい」と語った彼の心には、国境を越えた大きな夢がありました。
たとえ身分が低くても、たとえ仲間がいなくても、
「一人の意思が、世界を変えられる」
――そんなことを、坂本龍馬の人生は教えてくれます。