はじめに
戦国の「北条」といえば、鎌倉時代の北条氏…ではなく、関東に一大勢力を築いた“後北条氏”を思い浮かべる方も多いでしょう。
その中でも、最終的に天下の流れに飲み込まれた悲運の当主が――
**北条氏政(うじまさ)**です。
「うどんの汁を2度かけた」なんて逸話で「ダメな人」扱いされがちですが、実はその評価、ちょっと不当かもしれません!
今回は、関東の地を守ろうと奮闘した、氏政の“ホントの姿”に迫ってみましょう。
英才教育のサラブレッド
氏政は、名将・北条氏康の長男として生まれます。
氏康といえば、甲斐の武田信玄と対等に戦い、駿河の今川義元ともうまく手を組むなど、まさに戦国屈指のバランス感覚の持ち主!
そんな父から厳しい“帝王学”を叩き込まれた氏政は、10代後半には家督を譲られ、若くして北条家の当主に。
でも父の偉大さと比べられる日々が始まるのでした…。
例の「うどんエピソード」
ここで有名な逸話をひとつ。
ある日、氏政が食べていたうどんに、汁を二度かけたところ、それを見た父・氏康がひとこと。
「こんなやつに家を任せるのか…」
この話、今では「アホな後継ぎ」の象徴みたいに言われていますが、実は創作説も濃厚。記録上、そんなことは書かれていません。
むしろ、ライバルたちからも恐れられる有能な武将だったという評価もあるんです!
関東制覇の維持に尽力
氏政の時代、北条家はすでに関東の多くを支配していました。
でも、外からの圧力も大きく…
- 上杉謙信が越後からにらんでくる
- 武田信玄とは手を結んだり、ぶつかったり
- そして、天下統一を目指す織田信長の影が、じわじわと…
そんな中で、氏政は外交や婚姻策、巧みな城造りで北条家を支えます。
特に小田原城は、「難攻不落の城」として超有名になりました!
豊臣秀吉との最終決戦「小田原征伐」
時代は移り、天下は豊臣秀吉の手に。
そんな中、氏政は「関東は渡さない!」と強気の姿勢を貫き、ついに秀吉と激突。
これが、小田原征伐です。
全国の大名たちが秀吉のもとに集結し、20万ともいわれる軍勢に囲まれた小田原城。
氏政は徹底抗戦を試みますが、さすがに多勢に無勢――
約3か月後、開城し、北条家は滅亡へ。
氏政は潔く自刃。
弟・氏直は命を助けられ、高野山へと送られました。
おわりに:うどんじゃない、本当の氏政像
北条氏政というと、「判断ミス」「凡将」なんて言葉がついてまわりますが、実は、戦国でも屈指の難しいポジションを任され、最後まで関東を守ろうと踏ん張った、実直で責任感の強い当主だったのです。
うどんエピソードひとつで“ダメな人”にされるには、ちょっと惜しい!
歴史を少し深掘りすると、氏政の姿がぐっと魅力的に見えてきます。