038【佐竹義重】東北の鬼!豪胆で義に厚い“戦国の鉄人”

戦国時代、関東と東北の境界にどっしり構えていたのが、常陸ひたち(現在の茨城県)の佐竹氏

その中心にいたのが、今回の主役、佐竹義重さたけ よししげです。

「義に厚い」「豪胆無比」「交渉も得意」――

どこを切り取っても“頼れるリーダー像”の代表みたいな人物。

それでいて、ちょっと豪快で人情味もある男なんです。

さぁ、“東北の鬼”とも呼ばれた義重の物語へ、いざ出陣!

豪族から大名へ!関東の猛者、あらわる

義重よししげが生まれたのは1547年

名門・佐竹氏の嫡男として育ちました。

佐竹家は、もともと関東の名門ですが、戦国の混乱期に他の勢力に押されがち。

そんな家の未来を託された義重は、若いころから戦で頭角を現していきます。

まず手を付けたのが、家中の統制と周辺国の攻略。

常陸をまとめ上げ、さらに南の小田氏、北の伊達氏、西の宇都宮氏などとバチバチやり合います。

この頃の義重、かなりの“やり手&ガチ勢”です!

伊達政宗も一目置いた?タフネゴシエーター

戦上手なだけでなく、交渉・政治も得意だったのが義重よししげのすごいところ。

中でも有名なのが、伊達政宗との駆け引き。

若き政宗が台頭してきた時期、佐竹家と伊達家は東北でしのぎを削る関係。

しかし義重は無理に戦わず、政宗の勢いを見極めながら巧みに和睦を選びます。

「戦だけじゃなく、国を守るのが大名の役目だ」

そんな信念が感じられる、大人の判断をしていたんですね。

息子・義宣にバトンを渡し、静かなる引退

やがて義重よししげは、息子の佐竹義宣さたけ よしのぶに家督を譲ります。

義宣は豊臣政権下でさらに躍進。

義重はというと、引退しても軍事・外交の影のサポート役として活躍し続けました。

息子に全面的に任せるのではなく、しっかり“後見人”として支える姿に、「理想の親父像」がにじみ出ていてなんとも頼もしい!

義重の死後、佐竹家は関ヶ原の影響で秋田へ移されますが、その後も“秋田佐竹氏”として明治まで生き残ります。

これも、義重の時代にしっかり基盤を築いたおかげなんです。

おわりに

佐竹義重さたけ よししげは、戦国武将の中でも「地味だけど超有能」タイプの代表格。

  • 戦も強い
  • 人望もある
  • 政治もできる
  • 家族に慕われる

こういう人がいるから、戦国の世がまわってたんだな〜と感じさせてくれます。

表に出てくる派手さはないけれど、まるで“縁の下の大黒柱”のような安定感が光る、まさに“関東戦国の屋台骨”のような存在でした。