はじめに
戦国時代って、どうしても「勝った!天下統一だ!」みたいな話が目立ちますよね。
でも――
その裏では、「もしこの人が生きていれば…」と惜しまれる人物も数多くいます。
そんな“もし”の一人が今回の主役、長宗我部信親(ちょうそかべ のぶちか)。
若くして亡くなった彼の物語は、まるで映画のような美しさと切なさに満ちています。
父・元親の期待を一身に背負って
信親は、1575年、四国の大名・長宗我部元親(もとちか)の嫡男として生まれました。
元親といえば、「鬼若子(おにわこ)」と呼ばれるほどの猛将。
でもその父が、とことん可愛がったのが信親だったんです。
幼い頃から文武両道で、性格は温厚。
「この子こそ、わが家の未来!」と、家臣たちも期待を寄せていました。
まさに、家中の希望の星――
それが信親だったのです。
主君としての初陣も大成功!
信親は若くして実戦経験を積み、20歳前後で既に軍の指揮を任されるほどの実力を見せていました。
特に高評価だったのは、無駄な流血を避ける慎重さと、敵にも礼をもって接する誠実さ。
勇ましくて優しい――
「完璧すぎる」と言われるのも納得の将でした。
父・元親のような激しさとは違い、信親は冷静で理性的。
新しい時代を担うにふさわしい、器の大きな若武者だったのです。
運命の関ヶ原…ならぬ「戸次川の戦い」
ところが――
信親の未来は、思わぬ形で絶たれてしまいます。
1587年、九州・戸次川(へつぎがわ)の戦い。
豊臣秀吉の命で、四国から九州の援軍として出陣した信親。
相手は島津軍。
強い、強すぎる。
その中でも、特に猛将・島津家久の軍に対し、信親は奮戦します。
でも――
味方の連携がうまくいかず、信親は討ち死に。
享年わずか22歳。
その報は、父・元親の心を打ち砕きました。
「わしの命と引き換えにでも、助けたかった…」
そう語ったと伝えられています。
おわりに:伝説となった若武者の輝き
信親は、短い人生ながら人として、武将として、非の打ち所のない存在でした。
家臣たちは彼の死に深く悲しみ、父・元親も生きる気力を失うほどのショックを受けたといいます。
戦国の世で「理想の後継者」と讃えられ、人望・品格・知略・勇気すべてを備えていた信親。
彼がもう少し長く生きていれば――
長宗我部家の運命も、四国の歴史も、きっと変わっていたはずです。