
戦国時代のスター、伊達政宗。
そのすぐそばで、誰よりも冷静に、誰よりも忠実に支え続けた男がいました。
それが片倉小十郎。彼の本名は「片倉景綱」。
決して派手な武将ではありませんが、知れば知るほどその忠義と才覚に胸が熱くなる…
今回は、戦国時代の名バイプレイヤー・小十郎の生涯をじっくり追っていきましょう!
伊達家に拾われた少年、のちの名参謀に!
小十郎は1557年、出羽国(山形県)か陸奥国(宮城県)あたりで生まれたとされます。
父を早くに亡くし、幼い頃に伊達家に仕えはじめました。
幼少期からとても聡明で、剣の腕も一流。
特に優れたのは「観察力」と「判断力」――どんな状況でも冷静に対応できるその姿に、
若き伊達政宗も大きな信頼を寄せていきます。
そして、政宗の初陣からずっと、小十郎は生涯の相棒として活躍することになるのです。
ときに兄のように、ときに影武者のように
政宗の暴れん坊エピソードは数多くありますが、それを裏で支えたのが小十郎。
時には諫め、時には先回りして処理をする――まさに理想の参謀役!
一説には、政宗の命を狙う敵を欺くために、小十郎が政宗の影武者になったこともあると言われています。
どこまでも主君を守る姿に、伊達家中でも「小十郎の忠義は家宝級」と称賛されていました。
大坂の陣では、家と民を守る立場に
関ヶ原の戦い後、小十郎は伊達家の政務を支える立場に。
そして政宗の命を受け、大坂の陣では政宗に代わって伊達軍の指揮を任されます。
しかし、戦の裏にはもうひとつの使命が――
それは「政宗の息子・伊達秀宗を戦火から守ること」。
小十郎は秀宗を密かに城外に逃がし、政宗の血を未来につなげました。
この行動も、忠義と知恵がなせるもの。静かに、でも確実に家を守ったのです。
晩年まで政宗のそばで
小十郎は晩年まで政宗の片腕として働き続け、1622年、65歳でその生涯を閉じました。
政宗が亡くなるわずか1年前――まるで、主君とともに歩んだ一生の幕引きのようです。
彼の死後も、息子・片倉重長が家督を継ぎ、片倉家は伊達家の重臣として続いていきました。
おわりに
片倉小十郎は、自分を前に出すことのない武将でした。
けれど、政宗という大きな光を、そっと支える確かな“影”の力があったからこそ、伊達家は輝き続けたのです。
もしあなたが「脇役こそ本物の主役だ」と思うタイプなら、小十郎はまさに理想のヒーロー。
不器用なまでに忠義を貫き、知恵と剣で家を守り抜いた姿に、心打たれずにはいられません。
これからもずっと語り継がれるべき、静かなる名将――
それが、片倉小十郎です♪