029【片倉小十郎】伊達政宗の右腕!静かなる名軍師の美学

戦国時代のスター、伊達政宗。

そのすぐそばで、誰よりも冷静に、誰よりも忠実に支え続けた男がいました。

それが片倉小十郎かたくら こじゅうろう。彼の本名は「片倉景綱かたくら かげつな」。

決して派手な武将ではありませんが、知れば知るほどその忠義と才覚に胸が熱くなる…

今回は、戦国時代の名バイプレイヤー・小十郎の生涯をじっくり追っていきましょう!

伊達家に拾われた少年、のちの名参謀に!

小十郎こじゅうろう1557年、出羽国(山形県)か陸奥国(宮城県)あたりで生まれたとされます。

父を早くに亡くし、幼い頃に伊達家に仕えはじめました。

幼少期からとても聡明で、剣の腕も一流。

特に優れたのは「観察力」と「判断力」――どんな状況でも冷静に対応できるその姿に、
若き伊達政宗も大きな信頼を寄せていきます。

そして、政宗の初陣からずっと、小十郎は生涯の相棒として活躍することになるのです。

ときに兄のように、ときに影武者のように

政宗の暴れん坊エピソードは数多くありますが、それを裏で支えたのが小十郎こじゅうろう

時には諫め、時には先回りして処理をする――まさに理想の参謀役!

一説には、政宗の命を狙う敵を欺くために、小十郎が政宗の影武者になったこともあると言われています。

どこまでも主君を守る姿に、伊達家中でも「小十郎の忠義は家宝級」と称賛されていました。

大坂の陣では、家と民を守る立場に

関ヶ原の戦い後、小十郎こじゅうろうは伊達家の政務を支える立場に。

そして政宗の命を受け、大坂の陣では政宗に代わって伊達軍の指揮を任されます。

しかし、戦の裏にはもうひとつの使命が――

それは「政宗の息子・伊達秀宗を戦火から守ること」。

小十郎は秀宗を密かに城外に逃がし、政宗の血を未来につなげました。

この行動も、忠義と知恵がなせるもの。静かに、でも確実に家を守ったのです。

晩年まで政宗のそばで

小十郎こじゅうろうは晩年まで政宗の片腕として働き続け、1622年、65歳でその生涯を閉じました。

政宗が亡くなるわずか1年前――まるで、主君とともに歩んだ一生の幕引きのようです。

彼の死後も、息子・片倉重長が家督を継ぎ、片倉家は伊達家の重臣として続いていきました。

おわりに

片倉小十郎かたくら こじゅうろうは、自分を前に出すことのない武将でした。

けれど、政宗という大きな光を、そっと支える確かな“影”の力があったからこそ、伊達家は輝き続けたのです。

もしあなたが「脇役こそ本物の主役だ」と思うタイプなら、小十郎はまさに理想のヒーロー。

不器用なまでに忠義を貫き、知恵と剣で家を守り抜いた姿に、心打たれずにはいられません。

これからもずっと語り継がれるべき、静かなる名将――

それが、片倉小十郎です♪