030【山県昌景】赤備えを率いた武田の猛将!疾風のごとく戦場を駆け抜けた男

戦国時代、敵軍に「山県やまがたが来たぞ!」とその名を聞くだけで震え上がる者がいたとか。

その恐れられた武将の名こそ――

山県昌景やまがた まさかげ

真っ赤な甲冑に身を包んだ精鋭部隊「赤備あかぞなえ」を率い、まるで疾風のように戦場を駆け抜けたその姿は、“武田の猛将”の名にふさわしい、圧倒的な存在感!

今回はそんな山県昌景の一生を、情熱たっぷり&やわらかくご紹介します!

武田信玄に仕えた、冷静沈着な実力派

昌景まさかげ1524年ごろ、甲斐国(現在の山梨県)に生まれたとされています。

もともとは武田家の家臣団のひとりでしたが、彼の実力と忠誠心を見た武田信玄に抜擢され、やがて精鋭部隊「赤備え」の隊長に任命されます。

この「赤備え」とは、武田軍の中でも特に選ばれし者たちで構成された精鋭中の精鋭!

真っ赤な甲冑に身を包み、戦場では敵を蹴散らしながら突進する超攻撃型部隊だったのです。

赤備えの象徴として戦場に君臨!

その名声が一気に高まったのが、川中島の戦い

上杉謙信との一進一退の激戦のなかで、山県昌景やまがた まさかげは赤備えを率いて猛攻を仕掛け、敵軍を分断!

さらにその後も、

  • 三方ヶ原の戦い
  • 長篠の戦い(に至るまでの武田の拡大戦)

などなど、各地の合戦で抜群の戦術眼と指揮能力を発揮します。

彼の戦いぶりは、ただの“豪腕”ではありません。

実はとっても冷静で戦術家タイプ

突進力と頭脳のバランスがとれた、まさに「理想の武将」だったんです。

長篠の戦いで迎えた壮絶な最期

そんな昌景まさかげに訪れた運命の合戦が、1575年の長篠の戦い

織田・徳川連合軍の前に、武田軍は苦戦を強いられます。

昌景は、撤退命令が下る中でも殿しんがりとして味方の退却を支え、最後まで赤備えをまとめて奮戦。

そして――

敵中突破を試みるも、多勢に無勢。

ついに討ち死にしてしまいます。

その最期は、壮絶そのもの。

でも、主君のため、仲間のために命を懸けて戦った姿は、今でも語り継がれています。

おわりに

山県昌景やまがた まさかげは、ただの猛将ではありませんでした。

冷静さと判断力を備えつつ、命を賭して仲間を守る“心ある武士”。

その姿は、まさに「理想のサムライ」。

赤備えという伝説をつくり、今なお多くの戦国ファンの心を熱くさせています。

もしあなたが「静かに燃える本物の強さ」に惹かれるなら、山県昌景の生き様はドンピシャかもしれません!