「礼儀」は、心の橋をかける鍵
人と人との関係って、時にむずかしいものです。
ちょっとした一言でギクシャクしたり、何気ない態度が相手を不快にさせてしまったり。
でも、そんな中でも「きちんとした礼儀」を大切にすることで、相手の心を動かせることってありますよね。
今回は、そんな“礼儀の力”について教えてくれる『論語』の言葉――
「人、能く礼を致して敬せざるは無し(ひと、よくれいをいたしてけいせざるはなし)」
をご紹介します。
たとえ話:おじぎする猫としない猫
あるところに、ふたつの猫カフェがありました。
ひとつは、店員さんが笑顔で「こんにちは」と挨拶し、お客さんが入ってくるたびに猫たちも礼儀正しくおじぎ(のようなポーズ)をするお店。
もうひとつは、店員もぶっきらぼうで、猫たちは自由気ままに寝ているだけ。
するとどうでしょう。
前者のお店には、口コミがどんどん広がり、リピーターも増えていきました。
「なんだかあの猫たち、かわいいだけじゃなくて礼儀正しくて心がほっこりするよね」
お客さんは、自然と猫たちにも敬意を持つようになったのです。
この猫カフェのたとえは、まさに論語の言葉の意味を表しています。
言葉の意味と背景
この言葉は、『論語』の「八佾(はちいつ)」という章に登場します。
原文は次の通り:
子曰、人能く禮を致して敬せざるは無し。
(しのたまわく、ひと よく れいを いたして けいせざるは なし)
意味は、 「人が礼儀を尽くせば、相手に敬意を持たれないことはない」
というものです。
ここでの「礼(れい)」は、単なる作法や儀式だけでなく、「相手を思いやる心を形に表したもの」を指しています。
つまり、心のこもった行動や言葉づかい、気配りのこと。
孔子は、外見だけでなく内面からの礼の大切さを何度も説いています。
礼を尽くすということは、相手への敬意を“目に見える形”にすることであり、
それがあれば、自然と相手もあなたに対して敬意を払わずにはいられない、というのです。
まとめ:礼儀は、心をつなぐ“ことば以上の言語”
どんな時代でも、「礼儀」は人間関係の潤滑油。
心からの礼を尽くすことは、相手の心を開く魔法のような力を持っています。
「ちょっと面倒だな…」と思う時でも、丁寧な言葉や気配りを意識してみてください。
きっとその一歩が、信頼や敬意を生み出してくれるはずです。