003【土方歳三】最後の侍、誇りを貫いた不屈の戦士

武士の世が終わろうとしていた時代、

ひとりの男が、誇りと信念を胸に立ち続けていました。

その名は――土方歳三(ひじかた・としぞう)。

斬れ者にして美男、仲間に厳しく、自分にはもっと厳しい。

今回は、そんな「最後の侍」と呼ばれる彼の人生を、小説のように紐解いてみましょう。

【土方歳三】とは?

土方歳三は、1835年、武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市)に生まれました。

農家の家に生まれましたが、幼いころから「武士」に憧れていました。

剣の道を志し、独学で鍛え、やがて天然理心流という剣術道場に入門。

並々ならぬ努力の末、やがて剣士として頭角を現していきます。

「無名の農家から、立身出世してみせる」

その強い意思が、歳三の背中を押していきました。

新選組との出会い――京都の風雲児に

1863年、歳三は仲間たちとともに「浪士組」として上洛。

これが、後の「新選組(しんせんぐみ)」の始まりでした。

当初の浪士組はバラバラでしたが、近藤勇を局長に据え、歳三は副長として組織を引き締めていきます。

「武士であるなら、誇りを持て」

時に厳しく、時に情深く、隊士たちを育て上げていきました。

その冷徹な指導から「鬼の副長」と呼ばれることも。

しかしその内側には、誰よりも仲間を想い、誰よりも義を重んじる熱い心がありました。

池田屋事件と、栄光の瞬間

1864年、幕府のために活動していた新選組は、「池田屋事件」で長州・土佐の尊王攘夷派を襲撃し、名を轟かせます。

歳三の剣もまた、迷いなく敵を貫きました。

一躍、京都守護職としての地位を確立した新選組は、武士の誇りと秩序を守る存在として、庶民の支持も集めていきます。

けれど、時代は変わりつつありました。

明治維新の波――抗えぬ時代の流れ

1867年、大政奉還。

1868年、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍が勝利。

幕府は事実上、終わりを迎えます。

それでも歳三は諦めませんでした。

「徳川に仕えた誇りは、変わらん」

仲間を率いて北へ北へと転戦し、榎本武揚らと合流。

そしてついに、蝦夷地(現在の北海道)で「蝦夷共和国」を樹立。副総裁に就任します。

最後の拠点「五稜郭」で、彼は今もなお武士であろうとしました。

函館戦争――最期の戦い

1869年、函館戦争。

歳三は新政府軍に包囲されながらも、最前線で戦い続けます。

「武士の魂は、死ぬまで残る」

弾丸が飛び交う中、歳三は戦場に立ち続け、そして銃弾に倒れました。

享年35歳。

その亡骸は、仲間の手で静かに埋葬されました。

最後まで信念を曲げず、戦い抜いた侍の最期でした。

まとめ:誇り高く生き、誇りを守って散った土方歳三

土方歳三は、時代に逆らったのではなく、

「己の信じたものに殉じた」ただの一人の侍でした。

幕末という混乱の中で、彼のような人物がいたこと――

それは、現代の私たちにも「信念とは何か」を問いかけてくれる気がします。

今も函館の地には、土方歳三の銅像が立っています。

風が吹くたびに、その像は静かに語りかけているのかもしれません。

「武士とは、信念の人である」と。