
「絵が上手なのに、どうしてわざと顔をゆがめて描くの?」
そんな不思議な絵を描いた人物が、スペイン出身の画家パブロ・ピカソです。
ピカソは、20世紀を代表する画家のひとりです。
ひとつの角度から見た姿を描くだけでなく、複数の角度から見た形を一つの画面に組み合わせるなど、独自の表現を追求しました。
しかも、91歳で亡くなるまで、絵画だけでなく彫刻や陶芸など、さまざまな作品を生み出しました。
その人生には、悲しい経験や新しい挑戦、そして「自分らしい表現とは何か」を考えるヒントが詰まっています。
今回は、ピカソの生涯を3つの時期に分けて、代表作や発想の面白さとともに紹介します。
幼い頃から絵の才能を発揮!ピカソの少年時代
ピカソは1881年、スペイン南部のマラガで生まれました。
父親は美術教師で、幼い頃から絵に親しむ環境がありました。
ピカソは幼い頃から絵の才能を発揮し、14歳頃にはバルセロナの美術学校で本格的に絵を学びました。
しかし、ピカソの魅力は、絵が上手なことだけではありません。
若い頃から伝統的な描き方を学びながら、自分ならではの表現を探していました。
1900年にはパリを訪れ、芸術の新しい流れに触れます。
そこで目にした人々の暮らしや、出会った芸術家たちからも刺激を受けました。
才能があっても、最初から完成された天才だったわけではありません。
基本を学び、さまざまなものを見ながら、自分ならではの表現を磨きました。
悲しみを青色で表現!「青の時代」から新しい絵画へ
ピカソの人生を語るうえで欠かせないのが、20歳前後の経験です。
1901年、親友のカルロス・カサジェマスを亡くしたピカソは、その悲しみなどを背景に、青色を中心とした暗く静かな作品を描くようになりました。
この時期は「青の時代」と呼ばれます。
貧しい人々や孤独を抱える人々を描き、悲しみや寂しさを作品に込めました。
その後、ピカソはピンクやオレンジなどの暖かい色を使った作品を多く描くようになり、「バラ色の時代」と呼ばれる時期を迎えます。
さらに1907年頃から、人物の顔や体を幾何学的な形に分解して描く、新しい表現に取り組みました。
ジョルジュ・ブラックとともに発展させた「キュビスム」です。
キュビスムでは、人物や物を複数の角度から捉え、それぞれの視点を一つの画面に組み合わせて表現します。
作品によって顔がゆがんで見えるのも、見たままをそっくり描くのではなく、さまざまな角度から捉えた形を一つの画面に表そうとしたためです。
この斬新な発想は、絵画の常識を大きく変えました。
『ゲルニカ』で世界に訴える!晩年まで続いた創作への挑戦
ピカソの代表作のひとつが、1937年に制作した大作『ゲルニカ』です。
スペイン内戦中の1937年、ゲルニカはフランコ側を支援するドイツ軍とイタリア軍の航空部隊による爆撃を受けました。
ピカソはこの爆撃を題材に、戦争の悲惨さや人々の苦しみを表現した『ゲルニカ』を制作しました。
白・黒・灰色を中心に描かれた画面には、叫ぶ人々や動物の姿が登場します。
見る人に強い衝撃を与える作品です。
ピカソは、絵画を通して、美しさだけでなく、社会への怒りや人々の苦しみ、平和への願いも表現しました。
また、絵画だけでなく、彫刻、版画、陶芸などにも挑戦します。
年齢を重ねても創作意欲は衰えず、1973年に91歳で亡くなるまで制作を続けました。
ピカソの生涯は、ひとつの成功に満足せず、新しい表現を探し続けた人生でもあります。
まとめ
ピカソは、「青の時代」や「キュビスム」、戦争の悲惨さを訴えた『ゲルニカ』など、時期ごとに異なる表現を追求し、美術の常識を大きく変えた画家です。
ピカソの生き方から学べるのは、過去の成功や世間の常識に縛られず、自分なりの考え方を大切にすることです。
今までのやり方を変えることが、新しい可能性を生むきっかけになります。
年齢を重ねても挑戦を続けたピカソの人生は、新しいことを始めるのに遅すぎることはないと教えてくれます。
おすすめ書籍
『もっと知りたいピカソ 改訂版』(著:大髙保二郎・松田健児)
ピカソの91年の生涯をたどりながら、絵画だけでなく彫刻や版画、陶芸など、幅広い作品を豊富な画像とともに学べる美術入門書です。
「青の時代」や「キュビスム」など、時期によって変化する作品をたどりながら、ピカソ独自の発想や表現の魅力を理解できます。
美術の専門知識がなくても読みやすく、ピカソの人生や作品をさらに深く知りたい方におすすめです。