平清盛とは?|武士として初めて太政大臣になった男の生涯と功績

「平清盛」と聞くと、どんな人物を思い浮かべますか?

「平家を栄えさせた人」「源氏と戦った人」というイメージが強いかもしれません。

でも実は、平清盛は戦うだけではなく、貿易や港の整備にも力を入れた人物です。

1118年に生まれた清盛は、保元の乱や平治の乱を経て力を伸ばし、1167年には武士として初めて太政大臣になります。

さらに、現在の神戸市にある大輪田泊おおわだのとまりを整備し、日宋貿易にも力を入れます。

今回は、そんな平清盛の歴史や人物像、意外と知られていないエピソードをわかりやすく紹介します。

平清盛はどんな人?武士から太政大臣へ

平清盛は、平安時代の終わりごろに活躍した武士です。

父は平忠盛で、伊勢平氏の中心人物として力を持つ家に生まれます。

当時の政治は、貴族が中心でした。

そんな時代に清盛は武士として力をつけ、朝廷の中でも存在感を高めます。

大きな転機となったのが、1156年の保元の乱と1159年の平治の乱です。

清盛はこれらの争いを経て、武士の中でも大きな力を持つようになります。

そして1167年、清盛は武士として初めて太政大臣になります。

これは、武士が政治の中心へ近づく大きな出来事でした。

「武士って、戦う人じゃないの?」と思うかもしれません。

でも清盛は、戦だけでなく政治にも深く関わる人物になります。

平清盛のすごい功績!港を整えて貿易を進める

清盛の大きな功績として知られるのが、大輪田泊という港の整備です。

大輪田泊は、日宋貿易の重要な拠点でした。

清盛はこの港を重視し、船を風や波から守るため、港の整備を進めます。

さらに、海上交通と深く関わる厳島神社も大切にします。

1168年には、厳島神社の社殿を大きく整えます。

つまり清盛は、「戦に勝てばいい」と考えた人物ではありません。

港を整え、海外との貿易を進め、経済にも目を向けます。

戦だけではなく、街づくりや貿易にも力を入れた人物だったのです。

こうして見ると、清盛の意外な一面が見えてきます。

平清盛の意外なエピソード!神戸に都を移そうとする

清盛には、もう一つ驚くようなエピソードがあります。

それが、1180年に行った福原への遷都です。

清盛は現在の神戸市兵庫区周辺に都を移そうとします。

大輪田泊を重視していた清盛にとって、福原は重要な場所でした。

「京都じゃなくて、神戸に都を移すの?」と思ってしまいますよね。

ところが、この遷都は長く続きません。

源頼朝らが兵を挙げて戦いが広がったため、清盛は同じ年に都を京都へ戻します。

その後、源氏との戦いが激しくなる中で、清盛は1181年に亡くなります。

大きな力を手にした一方で、その勢力は長く続きませんでした。

まとめ

平清盛は、平氏の力を大きく広げた武士です。

保元の乱や平治の乱を経て、武士として初めて太政大臣になります。

さらに、大輪田泊を整備して日宋貿易を進め、厳島神社の修造にも関わります。

そして福原に都を移すという、大胆な行動にも出ます。

平清盛を知ると、平安時代から武士の時代へ変わる流れが見えやすくなります。

「平家は最後に負けた」という結果だけでは、清盛の姿は見えてきません。

政治、貿易、港、都づくりまで手を広げた人物として見ると、また違った姿が見えてきます。

おすすめ書籍

『平清盛と平家政権 改革者の夢と挫折』(著:伊東潤)

平清盛がどのように力をつけ、平家を大きく発展させたのかを知ることができる一冊です。

太政大臣になった清盛の歩みだけでなく、日宋貿易や福原への遷都、平家政権の誕生とその後まで描かれています。

今回の記事で紹介した「戦うだけではない清盛」という姿も見えてきます。

平清盛の生涯を追いながら、平安時代から武士が政治の中心へ進んでいった流れも知ることができます。

記事を読んでもっと清盛を知りたくなった人におすすめです。