「ほんとうに大事なこと」に出会えたら、それだけで人生は満たされる
私たちは日々、何かを求めて生きています。
知識、成功、お金、安心感、愛情――
けれど、それらの“手段”にばかり目を奪われて、
「本当に大切なことは何か?」を、見失いがちではないでしょうか。
そんな現代の私たちに、2500年前の孔子が放った、心に刺さる言葉があります。
それが、
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
という言葉です。
たとえ話:哲学者の老教師と若者
ある若者が、旅の途中で山奥に住む老教師に出会いました。
「人生って、何のためにあるんですか?」と若者は問います。
老教師は少し微笑んでこう言いました。
「私も長く生きてきたが、“生きる意味”は一言で言える。
それは、“人としてどう生きるか”を知ること。
もし君がそれに気づけたなら、明日死んだとしても、もう悔いはないよ。」
若者は深く考え込み、その旅の中で自分なりの“道”を見つけていきました。
言葉の意味と背景
この言葉は、『論語』の「里仁(りじん)」篇に登場します。
子曰、朝聞道、夕死可矣。
(し のたまわく、あしたに みちを きかば、ゆうべに しすとも かなり)
意味は、
「朝に“道”(=人としての正しい生き方、真理)を知ることができたのなら、その日の夕方に死んでも悔いはない」
ということ。
ここでいう「道」は、単なる知識や情報ではありません。
**人生の本質や、自分がどう生きるべきかという“真理”**のことです。
孔子は、名声や富よりも、何よりも「人としての道(どうあるべきか)」を知ることが尊いと考えていました。
それを知ることができれば、人生は長さよりも深さで価値が決まる――そんな価値観が込められています。
まとめ:生き方の“核”を持てば、人生は揺るがない
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という言葉は、
私たちに「何を大切にして生きるか」を問いかけてきます。
毎日忙しく過ごす中で、ふと立ち止まり、
**「自分の“道”はどこにあるのか」**と考える時間を持ってみませんか?
その“道”を見つけたとき、人生は驚くほどシンプルで豊かになります。