094【忠恕を道と為す。己の欲せざる所、人に施すことなかれ】(ちゅうじょをみちとなす。おのれのほっせざるところ、ひとにほどこすことなかれ)

「思いやり」はすべての道の“出発点”

人と関わる中で、何が正しいか悩むことってありませんか?
「これは言うべき?黙るべき?」
「自分は気にならないけど、相手はどう感じるだろう?」

そんなとき、孔子のこの言葉は、とてもシンプルで強い指針を与えてくれます。

それが、
「忠恕を道と為す。己の欲せざる所、人に施すことなかれ」
という教えです。


たとえ話:イヤホンの音漏れ

ある日、満員電車の中で、高校生が音楽を大音量で聴いていました。
イヤホンなのに、音がシャカシャカ漏れていて、まわりの乗客はしかめっ面。

でも、その高校生はまったく気づいていない様子。
そんな中、ひとりの乗客がそっと声をかけました。
「もし自分が隣にいたら、気になると思わない?」

高校生はハッとして、「すみません」と音量を下げました。

――これがまさに「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」。
「自分がされたくないことは、他人にもしない」という、誰にでもわかる思いやりのルールです。


言葉の意味と背景

この言葉は、『論語』の「衛霊公(えいれいこう)」という篇に登場します。

子貢問うて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者ありや。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ。
(しこう とうて いわく、いちげんにして もって しゅうしん これを おこなうべきもの ありや。し のたまわく、それ じょ か。おのれの ほっせざる ところ、ひとに ほどこすことなかれ)

意味は、
「一生守るべきたった一つの教えがあるとすれば、それは“恕(じょ)=思いやり”だ。自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない」
ということ。

ここで出てくる「忠(ちゅう)」は、まごころを持って自分の務めを果たすこと。
「恕(じょ)」は、相手の気持ちを思いやり、寛大であること。
孔子は、この“忠”と“恕”の二つを、人として歩むべき「道」そのものだと語っています。


まとめ:世界一シンプルな「やさしさのルール」

何かに迷ったとき、「それを自分がされたらどう思うか?」と一度立ち止まって考える。
それだけで、人間関係はぐっとやさしく、あたたかいものになります。

忠と恕――誠実さと思いやり。
この2つがあれば、どんな時代でも、人としての道を外れることはありません。