怒りではなく、教えによって人を導く。それが「君子(くんし)」の姿。
こんにちは。今回は、リーダーシップや教育、対人関係にも通じる論語の一節をご紹介します。
「君子は誨を以て人を導く」
(くんしは かいをもって ひとをみちびく)
この言葉は、『論語・衛霊公(えいれいこう)』に登場するもので、孔子が「理想的な人の在り方」について語ったものです。
どんな意味?
この言葉の意味は、
「徳のある立派な人(=君子)は、叱責や制裁ではなく、教え諭すことで人を導く」
ということ。
つまり、怒ったり責めたりするのではなく、相手が自分で気づき、変わることを促すのが本物のリーダーや先生だ、という教えです。
たとえ話で考えてみよう
ある職場で、新人のAさんがミスを繰り返していたとします。
先輩のBさんはイライラして、ついきつく叱ってしまいます。
その結果、Aさんは萎縮して、もっとミスが増えてしまいました。
でも、もう一人の先輩Cさんは違いました。
「この部分、どうしてミスが起きたか一緒に考えてみようか」
「ここで迷いやすい理由があるんだよね。私も最初はそうだった」
そうやって教えを通じて気づかせるCさんの関わり方に、Aさんは救われ、自然と成長していった――
これこそが「君子は誨を以て人を導く」の精神です。
背景と孔子の考え
孔子は「君子」と「小人(しょうじん)」を対比して語ることが多くあります。
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君子:思いやりがあり、人を正しく導く人物
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小人:目先の感情で動き、人をコントロールしようとする人物
この言葉は、教育の現場や組織で人を育てる立場にある人へのメッセージともいえます。
怒りや圧力では人は変わらない。教えと対話によって導くことが、真のリーダーシップである。
そうした孔子の信念が、この一言に詰まっています。
現代に活かすなら?
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子どもを叱るとき、「何が悪いのか」ではなく「どうすればよくなるか」を伝える
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部下のミスに対して、怒るより先に「なぜそうなったのか」を一緒に考える
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SNSなどで人を批判する前に、背景や考えを理解しようとする姿勢を持つ
こうしたちょっとした心がけが、「誨(おしえ)」による導きへとつながっていきます。
おわりに
「君子は誨を以て人を導く」。
私たちが誰かと関わるとき、ただ怒ったり批判するのではなく、
**「どうやったらこの人はより良くなれるか」**を考えて関わることができたら、それはきっと“君子”の一歩です。
優しさと知恵をもって、人を導く姿を目指したいですね。