
「何者かになりたい」気持ちはある?——孔子が語った“志”の力
「やりたいことがわからない…」
「目標とか夢とか言われてもピンとこない…」
現代を生きる私たちの多くが、一度は感じたことのあるこのモヤモヤ。
でも、そんな悩みを2500年前の孔子も見抜いていたかのような一言があります。
士にして志無くんば、亦何を以てか立たん
これは、「志を持たない人が、どうやって立つ(生きる)ことができるのか?」という孔子の問いかけです。
たとえ話
たとえば、地図も持たず、目的地も決めずにふらふらと旅に出たとしましょう。
最初は自由気ままで楽しいかもしれませんが、次第にこんな不安が湧いてきます。
- 自分はどこに向かってるの?
- 今、進んでる道は正しいの?
- ゴールがないなら、歩き続ける意味ってあるの?
人生も同じで、「志」という目指す方向がなければ、日々の選択にも迷いが生まれ、進む力も弱くなってしまいます。
孔子は、特に「士」——つまり志を持って社会に貢献する立場の人にとって、“志”こそが立つための支えになると説いています。
言葉の意味と出典:「士」と「志」が持つ重み
この言葉は『論語』の為政篇に登場します。
士にして志無くんば、亦何を以てか立たん。
ここでの「士」は、学び続け、人格を高めようとする知識人・修養者のことを指します。ただの地位や職業を表す言葉ではありません。
- 士=学び、理想を追い求める人
- 志=人生の指針や目標、理想像
つまり孔子は、「理想を持って生きようとする人間が、その根っこである“志”を持たなかったら、どうやって自分を支えるのか?」と問いかけているのです。
現代へのヒント:「でっかい夢」じゃなくていい、小さな志から始めよう
「志」と聞くと、「起業する!」「世界を変える!」といった大きな夢を想像しがちですが、そうである必要はありません。
- 人にやさしくしたい
- 毎日をちょっとずつよくしたい
- 自分らしく生きていきたい
そんな小さな志でさえ、自分の生き方に芯を与えてくれます。
志は、自分を導く“内なるコンパス”のようなもの。
方向が見えるだけで、不思議と足取りも軽くなるんです。
おわりに
今はまだはっきりとした志がなくても大丈夫。
でも、「自分はどう生きたいか?」を時々自分に問いかけてみることが大切です。
孔子の言葉は、「志を持つこと」は立派な人間であるための条件ではなく、誰にとっても必要な“人生の土台”だよと、優しく教えてくれているように思えます。

