060【過ちを憚らず】(あやまちを はばからず)

〜失敗を恐れず、認めることが本当の強さ〜

「間違ったことをしてしまった……」

そんなとき、あなたは素直に謝れますか?

それとも、つい言い訳してしまいますか?

今回は、論語から「過ちを認める勇気」の大切さを教えてくれる一節をご紹介します。

出典と意味

この言葉は『論語』の子張篇しちょうに登場します。

あやまちをはばからず

意訳すると、

間違いを恥じたり恐れたりしてはいけない(素直に認めることが大切)

「憚る(はばかる)」とは、“気にしてためらう”“遠慮する”という意味。

つまりこの言葉は、失敗を恥じて隠すのではなく、きちんと向き合ってこそ成長できるという教えです。

たとえ話

ある若手社員が、資料の数字を間違えてしまいました。

焦ってごまかそうとしましたが、先輩が静かにこう言います。

「誰でもミスはする。でも、間違いを認めて修正するのが、本当のプロだよ。」

若手社員は勇気を出して、「すみません、間違えていました」と謝罪。

その姿勢に上司たちは逆に信頼を深め、「次も任せよう」と思ったのでした。

失敗を隠すより、認めて学ぶ人のほうがずっと強い

――それがこの言葉の本質です。

背景

孔子は“完全な人間”を求めていたのではありません。

むしろ、人は誰でも過ちを犯すものと考えていました。

大切なのは、「過ちを直せるかどうか」。

つまり、素直に自分を省みて、改める力こそが人格の成長につながると説いたのです。

現代への応用

現代社会でも、「失敗を認める勇気」が重視される場面は多くあります。

  • ビジネスの現場での謝罪と報告のスピード
  • 学校や家庭での素直な「ごめんなさい」
  • SNSなどでの誤情報に対する対応 など

一時の見栄やプライドを守ろうとして、信頼や未来のチャンスを失ってしまうのは、もったいないことです。

まとめ

【過ちを憚らず】は、

失敗を恐れず、素直に認める勇気こそが人としての成長につながるという、孔子の力強い教えです。

  • ミスを認めることは「負け」ではない
  • むしろそれは「次に進むための第一歩」
  • 恥じるより、改める姿勢こそが、信頼を生む

私たちも、完璧を目指すのではなく、間違いから学べる人間を目指していきたいですね。