〜失敗を恐れず、認めることが本当の強さ〜
「間違ったことをしてしまった……」
そんなとき、あなたは素直に謝れますか?
それとも、つい言い訳してしまいますか?
今回は、論語から「過ちを認める勇気」の大切さを教えてくれる一節をご紹介します。
【出典と意味】
この言葉は『論語』の「子張(しちょう)」篇に登場します。
過ちを憚らず(あやまちを はばからず)
意訳すると、
間違いを恥じたり恐れたりしてはいけない(素直に認めることが大切)
「憚る(はばかる)」とは、“気にしてためらう”“遠慮する”という意味。
つまりこの言葉は、失敗を恥じて隠すのではなく、きちんと向き合ってこそ成長できるという教えです。
【たとえ話でイメージしてみよう】
たとえば「若手社員と先輩の会話」
ある若手社員が、資料の数字を間違えてしまいました。
焦ってごまかそうとしましたが、先輩が静かにこう言います。
「誰でもミスはする。でも、間違いを認めて修正するのが、本当のプロだよ。」
若手社員は勇気を出して、「すみません、間違えていました」と謝罪。
その姿勢に上司たちは逆に信頼を深め、「次も任せよう」と思ったのでした。
失敗を隠すより、認めて学ぶ人のほうがずっと強い――それがこの言葉の本質です。
【孔子がこの言葉を語った背景】
孔子は“完全な人間”を求めていたのではありません。
むしろ、人は誰でも過ちを犯すものと考えていました。
大切なのは、「過ちを直せるかどうか」。
つまり、素直に自分を省みて、改める力こそが人格の成長につながると説いたのです。
【現代への応用】
現代社会でも、「失敗を認める勇気」が重視される場面は多くあります。
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ビジネスの現場での謝罪と報告のスピード
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学校や家庭での素直な「ごめんなさい」
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SNSなどでの誤情報に対する対応 など
一時の見栄やプライドを守ろうとして、
信頼や未来のチャンスを失ってしまうのは、もったいないことです。
【まとめ】
【過ちを憚らず】は、
失敗を恐れず、素直に認める勇気こそが人としての成長につながるという、孔子の力強い教えです。
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ミスを認めることは「負け」ではない
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むしろそれは「次に進むための第一歩」
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恥じるより、改める姿勢こそが、信頼を生む
私たちも、完璧を目指すのではなく、
間違いから学べる人間を目指していきたいですね。