034【過ちては則ち改むるに憚ること勿れ】(あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ)

過ちは誰にでもある。だからこそ大切なのは…

人は誰しも、完璧ではありません。

仕事でのミス、友人とのすれ違い、無意識のうちに人を傷つけてしまった言動…。

「ああ、やってしまった」と落ち込むこと、きっと誰しも一度や二度ではないはずです。

でも、ここで大事なのは「そのあとの姿勢」です。

自分の過ちに気づいたとき、素直に認め、行動を改めること。

それこそが、人としての成長につながるのです。

そんな教えを、紀元前の中国の思想家・孔子は、こんなふうに表現しました。

論語の言葉

あやまちてはすなわあらたむるにはばかることなかれ」

『論語』衛霊公篇えいれいこうへんより

意味:過ちに気づいたら、ためらわずにすぐに改めなさい。

たとえ話

ある日、小学生のタカシくんは、夕食の時間に誤ってジュースの入ったコップを倒してしまいました。

テーブルはベタベタ、床にもジュースが広がり、お母さんは少し困った顔をしています。

タカシくんは、一瞬「知らんぷりしようかな」と思いました。

でもすぐに「ごめんなさい!」と謝り、タオルを持ってきて一緒に片付けを始めました。

その姿を見たお母さんは、「ちゃんと謝って、自分で拭いてえらいね」とにっこり。

ミスをしない人はいません。

でも、「すぐに改めることができる人」は信頼され、成長します。

まさにこの言葉の精神が、タカシくんの行動には表れていたのです。

この言葉が生まれた背景

この言葉が収められている『論語』は、孔子とその弟子たちの言葉を集めた書物です。

「衛霊公篇」では、主に政治やリーダーシップについての教えが多く語られています。

この章で孔子が伝えたかったのは、「指導者であれ一般人であれ、間違いを恐れず、正すことを恐れるな」という姿勢です。

孔子は理想の人物像を「君子」と呼び、その君子の条件の一つとして、「過ちを改める素直さ」を何度も強調しています。

まとめ

過ちは恥ずかしいことではありません。

それよりも、

「間違いを認められないこと」

「改めるのを先延ばしにすること」

のほうが問題です。

この論語の教えは、現代のビジネスシーンでも、人間関係でも、子育てにも生かせる普遍的なもの。

間違えたときは、深呼吸して、「さあ、どう改めよう?」と一歩踏み出してみましょう。