033【士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、与に議すべからざるなり】(し、どうにこころざして、あくいあくしょくをはずるものは、ともにぎすべからざるなり)

こんにちは。

今回は論語の中でも、ちょっと耳が痛くなるような、でも心にグッとくる言葉をご紹介します。

どうこころざして、悪衣悪食あくいあくしょくずるものは、ともすべからざるなり」

いかがでしょう?

なんとなく堅苦しそうに見えるこの言葉、実は「本当に大切なことは何か?」を教えてくれる、今の時代にもぴったりなメッセージなんです。

この言葉の意味は?

ざっくり訳すと、こうなります。

「立派な志(し:士=志ある人物)を持とうとしているのに、質素な服や粗末な食事を恥ずかしいと思っているような人とは、一緒に語り合う価値がない」

つまり、何か大きな理想や使命を持って生きようとしている人が、見た目や贅沢に気を取られていたら、それは本末転倒だよね、というお話です。

起源と背景

この言葉は、中国の春秋時代、思想家・孔子が弟子たちに語ったものです。

当時の中国では、社会が不安定で、貧富の差も激しく、見た目や地位を気にする風潮が強かったといいます。

そんな中で孔子は、「本当に大事なのは内面と志」と説き続けました。

彼にとって「士」とは、単なる貴族階級ではなく、理想や正義のために努力する者のこと。

そんな「士」を目指すなら、表面的なことに惑わされるべきではない、というわけです。

たとえ話

たとえば──

あなたが「世界を変えるエンジニアになる!」と決意して、毎日図書館やカフェでプログラミングを勉強しているとします。

でも、友達が「その服、ちょっとダサくない?」「コンビニごはんばっかりで大丈夫?」なんて言ってきたら、どうしますか?

そのとき、「いや、今は見た目よりもスキルを磨くのが大事なんだ!」と思えるなら、あなたは孔子が言う“士”の道に近づいているかもしれません。

逆に、見た目や贅沢にばかり気を取られて志を見失うなら、どれだけ口で「夢がある」と言っていても、孔子は「語るに値しない」と言うのです。

現代にどう生かす?

この言葉、現代でもかなり深い意味があります。

✔️ 起業家を目指しているのに、ブランド品やSNS映えばかりに気を取られていない?
✔️ 学びの途中なのに、「見た目がダサいと恥ずかしい」って思ってない?
✔️ 自分の本当の目標を見失っていない?

志を立てたなら、まずは地に足をつけて、着実に進もう。派手さや見栄は後からついてくるものです。

まとめ

どうこころざして、悪衣悪食あくいあくしょくずるものは、ともすべからざるなり」

この言葉は、「志を持つなら、まずは見た目より中身を磨け」というメッセージです。

かっこよさや贅沢は、志のある生き方の“副産物”にすぎません。

まずは自分の内側にある「志」に忠実でいられるよう、心を整えていきたいですね。

次回もまた、論語の中から心に響く言葉を紹介していきます。

どうぞお楽しみに!