はじめに
戦国の世に、武勇も気品も兼ね備えた男がいました。
それが、細川忠興です。
激しい気性と強い忠誠心で、数々の戦を駆け抜けました。
名門に生まれる
忠興は1563年、名門・細川家に生まれました。
父は文化人として知られる細川幽斎。
武士の家に生まれながら、教養にも恵まれた環境で育ちました。
ガラシャとの結婚
彼の人生で語られる大きな出来事のひとつが、明智光秀の娘・玉子(のちの細川ガラシャ)との結婚です。
政略結婚ではありましたが、忠興は玉子を深く愛していました。
けれど、その愛は時に激しすぎました。
本能寺と葛藤
本能寺の変で、玉子の父・明智光秀が信長を討ちます。
忠興は、父の敵となった義父に対し怒りを隠しませんでした。
それでも玉子を離縁することなく、結果的に守り抜いたのです。
その一方で、玉子を幽閉するような行動もとり、激しい愛と苦悩の狭間で揺れていたといわれます。
豊臣から徳川へ
秀吉のもとでも重用された忠興は、各地の戦いで活躍します。
関ヶ原の戦いでは東軍として参戦し、大きな武功をあげました。
その後、肥後・熊本に加増され、大名としての地位を固めます。
晩年と忠義
忠興は晩年、家督を子に譲り隠居します。
しかし、政治にも文化にも深く関わり続けました。
剣も茶の湯も、文学も嗜み、戦国最後の教養人とも呼ばれます。
おわりに:激情のなかに凛と咲く誇り
細川忠興は、戦乱の中でも自らの信念を貫いた男です。
ときに激情に身を焦がしながらも、その奥にある忠義と誇りは揺らぎませんでした。
戦と愛、忠義と文化。
その狭間で生き抜いた、まさに戦国の貴公子です。