063【吉川広家】毛利家を救った冷静沈着な戦国武将

はじめに

戦国時代には、豪快な武将ばかりではありません。

冷静に状況を見極め、家を守るために動いた者もいました。

吉川広家は、そんな「守りの天才」でした。

彼の知略に満ちた生涯を見ていきましょう!

名門・吉川家の跡取りとして

広家は、毛利元就の孫にあたります。

名門・吉川家を継ぐことが決まっていました。

幼いころから聡明で知られ、周囲から大きな期待を寄せられていたのです。

家を守るため、広家は早くから現実的な目を持っていました。

関ヶ原に向けた苦渋の決断

1600年、関ヶ原の戦いが勃発。

毛利家は西軍に名を連ねますが、広家は悩みました。

もし西軍が負ければ、毛利家は滅亡するかもしれない。

それだけは絶対に避けなければならない。

広家は密かに、東軍(徳川家康)と内通します。

戦わずして、毛利家を存続させるために動いたのです。

影の立役者、毛利家存続へ

関ヶ原本戦では、毛利軍はほぼ動かず静観。

その結果、毛利家は改易こそされましたが、長州(現在の山口県)に領地を保つことができました。

これも、広家の冷静な立ち回りのおかげです。

派手な武勲こそありませんが、「家を残す」という至難の業を成し遂げました。

晩年は静かに

戦乱の世をくぐり抜けた広家。

その後は、大坂の陣にも参加しましたが、大きな野心を持つことなく、毛利家のために尽くしました。

1610年、広家は静かにこの世を去ります。

最後まで、家を守ることに命を懸けた生涯でした。

おわりに:守る勇気もまた、強さ

吉川広家の生き方は、ただ勝つことだけが武士の道ではないと教えてくれます。

守るために頭を使い、冷静に動く。

それもまた、大きな勇気だったのです。

地味だけど確かな生き方に、今も多くの人が共感しています。