はじめに
天下を目指した織田信長の次男、織田信雄。
兄・信忠の急死により、織田家の未来を背負うことになった彼の人生は、常に父の大きすぎる影と、戦国の荒波にもまれ続けました。
そんな信雄の波乱万丈な生涯を、やわらかく追いかけてみましょう!
信長の次男として生まれる
1558年、織田信長の次男として生まれた信雄。
兄・信忠に比べると、ちょっと自由奔放な性格だったようです。
それでも若くして各地の支配を任され、伊勢の国(現在の三重県あたり)を中心に力をつけていきました。
信長も、何かと気にかけていた様子がうかがえます。
突然やってきた「家督問題」
1582年、本能寺の変で父・信長、そして兄・信忠が相次いで命を落とします。
織田家は一気にトップを失い、大混乱!
そんな中、急きょ注目されたのが信雄でした。
「織田家をまとめるのは、やっぱり血縁の信雄だ!」と周囲が期待をかけます。
ところが、本人はちょっと頼りない…。
家臣たちも「これからどうなるんだろう」と不安を募らせます。
豊臣秀吉との微妙な関係
その後、織田家の実権を握り始めたのは、信長の家臣だった豊臣秀吉。
信雄は当初、秀吉と手を組んでうまく立ち回ろうとしますが、次第に不満が爆発して対立ムードに。
一時は反旗を翻すものの、結局は力及ばず、最終的には降伏して命乞いをする形になってしまいました。
これを機に、織田家は完全に豊臣政権の支配下に入ることになります。
晩年はのんびりと
その後、信雄は政治の表舞台から遠ざかり、静かな余生を送ることになります。
趣味の世界に没頭したり、仏門に入ったりと、激動の時代を生きた人とは思えない、のんびりとした晩年だったとか。
なんと、戦国武将としては珍しく、80歳近くまで長生きした記録も残っています!
おわりに:不器用だったけど、人間味あふれる武将
織田信雄は、父・信長の偉大すぎる存在と、戦国時代の厳しすぎる現実の間で、必死に自分なりに道を探し続けた武将でした。
確かに失敗も多かったけれど、そこにはどこか親しみやすい「人間くささ」があります。
完璧じゃないからこそ、今の私たちにも共感できる存在なのかもしれませんね。