057【織田信雄】父・信長の影に揺れた二代目の物語

はじめに

天下を目指した織田信長の次男、織田信雄

兄・信忠の急死により、織田家の未来を背負うことになった彼の人生は、常に父の大きすぎる影と、戦国の荒波にもまれ続けました。

そんな信雄の波乱万丈な生涯を、やわらかく追いかけてみましょう!

信長の次男として生まれる

1558年、織田信長の次男として生まれた信雄。

兄・信忠に比べると、ちょっと自由奔放な性格だったようです。

それでも若くして各地の支配を任され、伊勢の国(現在の三重県あたり)を中心に力をつけていきました。

信長も、何かと気にかけていた様子がうかがえます。

突然やってきた「家督問題」

1582年、本能寺の変で父・信長、そして兄・信忠が相次いで命を落とします。

織田家は一気にトップを失い、大混乱!

そんな中、急きょ注目されたのが信雄でした。

「織田家をまとめるのは、やっぱり血縁の信雄だ!」と周囲が期待をかけます。

ところが、本人はちょっと頼りない…。

家臣たちも「これからどうなるんだろう」と不安を募らせます。

豊臣秀吉との微妙な関係

その後、織田家の実権を握り始めたのは、信長の家臣だった豊臣秀吉

信雄は当初、秀吉と手を組んでうまく立ち回ろうとしますが、次第に不満が爆発して対立ムードに。

一時は反旗を翻すものの、結局は力及ばず、最終的には降伏して命乞いをする形になってしまいました。

これを機に、織田家は完全に豊臣政権の支配下に入ることになります。

晩年はのんびりと

その後、信雄は政治の表舞台から遠ざかり、静かな余生を送ることになります。

趣味の世界に没頭したり、仏門に入ったりと、激動の時代を生きた人とは思えない、のんびりとした晩年だったとか。

なんと、戦国武将としては珍しく、80歳近くまで長生きした記録も残っています!

おわりに:不器用だったけど、人間味あふれる武将

織田信雄は、父・信長の偉大すぎる存在と、戦国時代の厳しすぎる現実の間で、必死に自分なりに道を探し続けた武将でした。

確かに失敗も多かったけれど、そこにはどこか親しみやすい「人間くささ」があります。

完璧じゃないからこそ、今の私たちにも共感できる存在なのかもしれませんね。