053【明石全登】信仰に生きた義の武将

はじめに

戦国時代から江戸時代への過渡期――

多くの武将たちが己の信念と生き方を問われたこの時代。

その中で、強烈な個性と信仰心を持って生きた男、明石全登がいました。

派手さはないけれど、熱いドラマを秘めた彼の人生、さっそくのぞいていきましょう!

キリシタン大名への道

明石全登は播磨国(現在の兵庫県あたり)の出身。

彼は、若くしてキリスト教に深く傾倒し、洗礼を受けたキリシタン武将として知られます。

当時、キリスト教はまだ新しい信仰。

そんな中で、信仰を貫く生き方を選んだ全登は、世間の常識にとらわれない、ちょっぴり型破りな存在でした。

「信じた道を、真っすぐに行く!」

まさに、そんな熱い心を持った若者だったのです。

黒田家での活躍

全登は、あの名将・**黒田官兵衛(如水)**とその子・黒田長政に仕え、黒田家家臣団の中でも有力な立場を築きます。

朝鮮出兵では、実戦部隊の指揮を任されるほどの実力者に!

現地では果敢に戦い、その武勇を知られるようになりました。

だけど全登は、ただの武闘派ではありません。

内政や民政にも力を注ぎ、領民からの信頼も厚かったと伝わっています。

関ヶ原では「西軍」として出陣!

1600年、天下を揺るがした関ヶ原の戦い

全登は、黒田家を離れ、西軍側として参戦します。

なぜか?

それは、恩義を感じていた石田三成への忠義、そして、自らの信仰を守るためだったともいわれています。

「勝ち負けよりも、大切なものがある。」

そう考えた彼は、数で劣る西軍で奮闘!

敗戦後は行方をくらまし、伝説めいた存在となっていきます。

その後、謎に包まれる

関ヶ原の後、明石全登の消息はぷっつりと途絶えます。

  • 九州に落ち延びた説
  • 海外へ逃れた説
  • 隠れて生きた説

さまざまな説が残っていますが、真相は今も謎のまま。

最後まで自分の信じた道を貫いた彼にふさわしい、ミステリアスなラストですよね。

おわりに:信じた道を、歩き続ける

明石全登の人生は、時代の流れに抗いながら、信仰と義に生きた一本筋の通ったものでした。

派手な勝利を求めるのではなく、自分の中の「これだ!」を最後まで大切にする生き方――

それは、現代を生きる私たちにも、じんわりと響くものがあります。