はじめに
戦国時代から江戸時代への過渡期――
多くの武将たちが己の信念と生き方を問われたこの時代。
その中で、強烈な個性と信仰心を持って生きた男、明石全登がいました。
派手さはないけれど、熱いドラマを秘めた彼の人生、さっそくのぞいていきましょう!
キリシタン大名への道
明石全登は播磨国(現在の兵庫県あたり)の出身。
彼は、若くしてキリスト教に深く傾倒し、洗礼を受けたキリシタン武将として知られます。
当時、キリスト教はまだ新しい信仰。
そんな中で、信仰を貫く生き方を選んだ全登は、世間の常識にとらわれない、ちょっぴり型破りな存在でした。
「信じた道を、真っすぐに行く!」
まさに、そんな熱い心を持った若者だったのです。
黒田家での活躍
全登は、あの名将・**黒田官兵衛(如水)**とその子・黒田長政に仕え、黒田家家臣団の中でも有力な立場を築きます。
朝鮮出兵では、実戦部隊の指揮を任されるほどの実力者に!
現地では果敢に戦い、その武勇を知られるようになりました。
だけど全登は、ただの武闘派ではありません。
内政や民政にも力を注ぎ、領民からの信頼も厚かったと伝わっています。
関ヶ原では「西軍」として出陣!
1600年、天下を揺るがした関ヶ原の戦い。
全登は、黒田家を離れ、西軍側として参戦します。
なぜか?
それは、恩義を感じていた石田三成への忠義、そして、自らの信仰を守るためだったともいわれています。
「勝ち負けよりも、大切なものがある。」
そう考えた彼は、数で劣る西軍で奮闘!
敗戦後は行方をくらまし、伝説めいた存在となっていきます。
その後、謎に包まれる
関ヶ原の後、明石全登の消息はぷっつりと途絶えます。
- 九州に落ち延びた説
- 海外へ逃れた説
- 隠れて生きた説
さまざまな説が残っていますが、真相は今も謎のまま。
最後まで自分の信じた道を貫いた彼にふさわしい、ミステリアスなラストですよね。
おわりに:信じた道を、歩き続ける
明石全登の人生は、時代の流れに抗いながら、信仰と義に生きた一本筋の通ったものでした。
派手な勝利を求めるのではなく、自分の中の「これだ!」を最後まで大切にする生き方――
それは、現代を生きる私たちにも、じんわりと響くものがあります。