はじめに
戦国の「天下人」と聞けば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康――
この三人が思い浮かびますよね。
でも実は、その「先」に天下の扉を開こうとしていた男がいたんです。
その名も、三好長慶(みよし ながよし)。
「誰それ?」と思ったあなたも、きっとこの記事を読み終えたころには、「もっと評価されるべき!」と思っているはず…!
室町幕府の“中枢”を牛耳る
長慶は、戦国時代の真っただ中、摂津(大阪あたり)に生まれました。
彼の家は、将軍の“側近”として知られる細川家の家臣。
その中でも父・三好元長は頭角を現し、政治の中心にグイグイと近づいていきます。
…が、元長は討たれてしまい、家はピンチに!
若き長慶は、「このままでは終われない」と立ち上がります。
なんと10代半ばで家督を継ぎ、関西政界のど真ん中へ飛び込んでいくのです。
若くしてすでに、カリスマの風格があったとか!
将軍を追い出し、天下を実質掌握!
長慶がすごいのはここから。
なんと、当時の将軍・足利義輝を京都から追放してしまいます!
「え?将軍を追い出すなんて、そんなことできるの!?」
…はい、やっちゃったんです。しかも堂々と。
事実上、室町幕府の権威を超えて、関西一帯を掌握。
これ、実は織田信長が天下を取る20年も前の話。
長慶は間違いなく、「天下人」に一番近づいた最初の戦国大名だったんです。
部下も名将ぞろい、三好一族のスター集団
長慶の周りには、優秀な親族や家臣がズラリ。
「三好三人衆」「松永久秀」「三好実休」など、クセは強いが有能な武将が多数!
でも…そんなスター集団、うまくいくことばかりじゃありません。
家中は次第にギスギスし、謀略と裏切りが続出。
実の弟も戦死するなど、家族や仲間の喪失が長慶を次第に蝕んでいきます。
天下を目前にしながら、静かに幕を下ろす
勢いに乗っていた三好政権でしたが、内部の不協和音や、将軍側の反撃もあり、徐々に失速。
長慶は病に倒れ、1564年、43歳の若さでこの世を去ります。
彼の死後、三好家は一気に崩壊し、信長の時代へと突入していくのです。
おわりに:時代が早すぎた、もう一人の「天下人」
三好長慶は、後の戦国大名たちに先駆けて、“実力で国を治める”という時代を切り拓いた人物。
でも、その野望は時代に飲まれ、次代の波に埋もれてしまいました。
だけど、忘れないでください。
信長も、秀吉も、家康も歩いた“天下への道”――
その最初の一歩を踏み出したのは、三好長慶だったんです。