はじめに
「親子って難しいな…」
そんなことをしみじみ感じさせてくれるのが、この人――
斎藤義龍(さいとう よしたつ)。
あの“美濃のマムシ”こと斎藤道三の息子として知られていますが、彼の人生は、ただの“跡継ぎ”ではなく、誇りと葛藤の連続でした。
時には「親子の戦い」という、戦国でも稀なドラマをくぐり抜けながら、“自分らしさ”を模索し続けた男――その姿を見てみましょう!
名門?それとも…出自に揺れる少年時代
斎藤義龍は、道三の長男として生まれました。
…が、ここでひとつ、大きな問題が。
なんと父・道三は、息子の出自について「本当の子ではない」なんてウワサを流していたのです!
「俺、本当に道三の子なの…?」
そんな疑念に苦しんだであろう義龍。
やがてその疑念は、父への不信感と怒りへと変わっていきます。
父との確執、そして決別
義龍は、若いころから文武に優れた人物で、家中でも評判は上々。
でも父・道三からはなぜか冷遇され、「跡継ぎには不向き」とまで言われてしまいます。
ついには、道三が「美濃を織田信長に譲る」と宣言!
…義龍の怒りは、ついに爆発します。
1556年、ついに「長良川の戦い」が勃発。
義龍は実の父・道三を討ち取り、美濃の支配権を手に入れるのです。
親子が刀を交えるという壮絶なドラマ――
これはもう、戦国の「仁義なき戦い」といっても過言ではありません。
父を越えた、その後の義龍
父を超えた義龍は、いよいよ美濃の頂点へ。
家中の反発を抑え、戦国大名としての一歩を踏み出します。
さらに、あの織田信長とも戦い、尾張へ侵攻するなど、攻めの姿勢を見せていきました。
ただし…体があまり丈夫ではなかったとも言われており、
大きな統一戦までは実現できませんでした。
そして1561年、義龍はわずか34歳の若さでこの世を去ります。
おわりに:名を継ぐ者の重さと、真っ直ぐな生き方
斎藤義龍は、父・道三の強烈すぎる個性の陰に隠れがちですが、その生き様は、むしろ**「正統な跡継ぎ」としての誇り**を胸にした、真面目でまっすぐな人物。
「自分が本当に跡継ぎなのか」
「どう生きれば、武士として誇れるのか」
そんな葛藤と闘いながらも、美濃を守り抜いた姿は、静かに胸を打ちます。