042【斎藤道三】油売りから大名へ!?下剋上を極めた“美濃のマムシ”

「戦国一の下剋上」と聞いて、まず思い浮かぶのがこの男――

斎藤道三さいとう どうさん

なんとこの人、もともとは油売りの商人だったというからビックリ!

そこから戦国の頂点、大名へと駆け上がったその人生は、まさにリアル戦国サクセスストーリー

だけど、ただの成り上がりじゃない。

頭脳と策略と野心でのし上がった、まさに「マムシ」と呼ばれるにふさわしい男だったのです。

では、そのギラついた生涯をのぞいてみましょう!

油売りから僧侶、そして武士へ!?

道三どうさんはもともと、山城(今の京都府)出身の商人。

松波庄五郎まつなみ しょうごろう」という名で、油売りをしていたといわれます。

しかし、「このまま油を売って終わる人生なんてごめんだ!」

とでも思ったのでしょうか――

彼はその後、僧侶→武士→家老と、異例すぎるキャリアアップをしていきます!

最終的には、美濃の守護代・土岐氏の家中に入り、ついには主君を追い落として、美濃一国を手中にしてしまうんです!

これがまさに「下剋上の体現者」といわれるゆえん。

恐れられた策略家ぶり、マムシの名にふさわしく

武力だけでなく、道三は策略・人心掌握・金銭感覚も超一流。

「交渉も戦も、勝てばよかろう」精神で、敵を出し抜いていきます。

そしてその冷酷さ、執念深さから、

美濃のマムシ」と呼ばれるように。

ちなみにこの“マムシ”という呼び名、怖いけどなんだかクセになる…そんな雰囲気を道三どうさんにも感じますよね(笑)

娘婿は、あの織田信長!

道三どうさんの娘といえば、帰蝶きちょう=濃姫

この濃姫を嫁がせた相手こそ、若き日の織田信長

当初、信長は「うつけ者」と呼ばれていましたが、道三は「こいつは只者じゃない」と見抜いていたとか。さすがです。

「道三 vs 織田信長」なんて対決はなく、むしろ道三は信長の才を見込んで、「美濃は信長に継がせたい」とまで言ったそう。

だけど――

息子と骨肉の戦い、そして最期

自分の息子・斎藤義龍さいとう よしたつとは、だんだん関係がこじれていきます。

やがて道三どうさんは、義龍に対しても「お前じゃダメだ!」とキッパリ。

それが親子の断絶を生み、長良川ながらがわの戦い(1556年)へと突入。

道三は奮戦するも敗れ、非業の死を遂げます。

だけど、死の直前に信長に書き送った手紙には、

「信長に美濃を譲る」と明記。

最後まで、戦国を読む“目”を持った男でした。

おわりに

油売りから始まり、美濃の国主にまでのし上がった斎藤道三さいとう どうさん

「努力すれば夢は叶う」とはよく言いますが、ここまでスケールの大きい逆転人生って、そうそうない!

その冷静さ、計算高さ、そして大胆な行動力。

まさに「ザ・戦国」、ギラついた時代にピッタリの男です。