023【浅井長政】義に生きた若き美将!戦国を駆け抜けた愛と決断の人

はじめに

戦国時代の武将って、豪快だったり冷徹だったり、個性派揃いですが――

その中でひときわ美しく、義を重んじた若き武将がいました。

その名も 浅井長政あざい ながまさ

美男子とのウワサもある彼は、義を貫いたがゆえに運命に翻弄ほんろうされた、まさに戦国のロマン枠!

今回は、そんな浅井長政の波乱に満ちた短い生涯を、ドラマ仕立てでご紹介します♪

名門・浅井家を継ぐ若き当主

長政ながまさは**1545年、近江国(滋賀県)**にある戦国大名・浅井家あざいけの嫡男として誕生。

16歳のときに父・久政から家督を譲られ、若くして家のトップに!

この浅井家、実は当時そこまで大きな勢力ではなかったんですが、長政がトップになってからはどんどん力をつけ、周囲の大名からも注目されるようになります。

すでにこの頃から、しっかり者で民想い、冷静で礼儀正しい好青年だったと言われています。

織田信長との華やかな縁談

浅井長政あざい ながまさの名が一気に全国に知られるきっかけ、それは――

なんとあの織田信長の妹・お市の方との政略結婚!

お市の方は絶世の美女として知られ、二人はまさに戦国界のビジュアル系カップル

「戦国一の美男美女」とも言われました。

この結婚により、浅井家と織田家はがっちり同盟。

しかし、これがやがて長政を大きなジレンマに巻き込むのです…。

義と情のはざまで――決断のとき

1570年、信長が長政ながまさの旧友・朝倉義景あさくら よしかげを攻めたことで、すべてが動き出します。

「信長は同盟相手。でも朝倉家は代々の恩義ある家」

そう、長政は信長と朝倉、どちらに味方するかという“究極の選択”に迫られたのです。

悩んだ末、長政は「義」を取り、信長を裏切って朝倉と共に戦う道を選びます。

これが有名な姉川の戦いへとつながり、織田軍と浅井・朝倉連合軍が激突!

戦では互角の戦いを見せたものの、やがて信長の勢いに押され、浅井家は次第に追い詰められていきます…。

最期まで義を貫いた若武者

やがて浅井家は小谷城に籠城ろうじょうし、ついに落城のときを迎えます。

1573年、長政はわずか29歳で自害。

最期の瞬間まで気高く、そして潔く。

家臣や妻子にまで気を配るその姿は、今なお多くの人々の心を打ちます。

ちなみに、お市の方は三人の娘とともに落ち延び、そのうちの一人が――

のちに徳川秀忠に嫁いだ「お江(ごう)」です。

つまり、浅井長政あざい ながまさは徳川家康の孫の祖父でもあるんです!

おわりに

浅井長政あざい ながまさは決して天下を狙ったわけでも、派手に名を馳せたわけでもありません。

でも、家と恩義と誠を大切にし、筋を通したその姿は、戦国の中でも異彩を放ちます。

「義」を選んだことで滅びの道を歩んだ彼ですが、それでも彼の生き方には、揺るぎない信念と美しさがありました。

今も滋賀県のあちこちで語られる浅井長政の名。

彼の静かで凛とした生き方、きっとあなたの心にも響くはずです♪