007【伊達政宗】独眼竜、奥州を駆ける!野望と美学に生きたカリスマ武将

はじめに

戦国の終わりから江戸の始まりへ。

時代の大きなうねりの中で、ひときわ異彩を放った若き武将がいました。

その名は――伊達政宗だてまさむね

右目を失いながらも、天下を夢見て奥州おうしゅう(東北)を駆け抜けたその姿は、“独眼竜どくがんりゅう”と呼ばれ、今なお多くの人を魅了しています✨

今回は、そんな伊達政宗の波乱万丈な人生を、小説のようにご紹介します!

幼き日の試練――右目を失う少年

政宗は1567年、出羽国でわのくに(今の山形県)にて誕生。

幼名は「梵天丸ぼんてんまる」、めちゃくちゃかっこいい名前です!

幼いころに天然痘てんねんとうという病気にかかり、右目を失明してしまいます。

「見た目が悪い」とさげすまれ、周囲から距離を取られることもあったとか…。

でも彼は負けませんでした。

むしろ、この経験が政宗を強くしたとも言われています。

やがて自らその目を取り除き、「独眼の武将」として立ち上がるのです。

17歳でデビュー!いきなり激動の戦国デビュー戦!

政宗が家督を継いだのはわずか17歳のとき。

その直後から、奥州の統一を目指して次々と戦いを仕掛けます!

戦に強く、決断も早い。

ときには冷酷な行動も取るその姿に、周囲は驚き、そして恐れました。

「恐れながら、あの若者…何かが違う」

まさに“政宗ショック”。

戦国の荒波に、彼は若さと才覚で真っ向から挑みます⚔️

母との確執――それでも夢をあきらめない

政宗の人生には、影のように寄り添う“悲しみ”もあります。

特に、母・義姫よしひめとの関係は複雑でした。

実の母から命を狙われたこともあるというショッキングなエピソードも。

(※諸説ありますが、ドラマではよく描かれるシーンです)

けれども政宗は、感情に流されず、あくまでも“天下を狙う者”として、自らの立場を守り続けました。

彼のブレない野心と冷静さは、若きながらも天下人たちに引けを取らない風格がありました。

時は豊臣の世――政宗、あわや切腹の危機!

奥州の覇者となった政宗は、ついに豊臣秀吉の耳にも届きます。

秀吉「なんか奥州おうしゅうに、やたらと派手な若造がいるらしいな…?」

秀吉は、政宗に服従を命じます。

政宗、初めは無視!…いやいや、それヤバいって!

結局、秀吉の前に出頭した政宗は、「切腹も覚悟」とばかりに、白装束しろしょうぞくをまとい、堂々と登場。

これがまた絵になる…✨

その度胸と風格に、秀吉も思わず笑って赦した――という有名なエピソードです。

天下取りから外交の夢へ――江戸時代の先駆け

政宗は、その後も徳川家康のもとで生き抜き、「仙台藩・初代藩主」として君臨します。

そして彼が考えたのは――

世界に目を向けた大航海外交!

1613年、支倉常長はせくらつねながをスペインに派遣し、キリスト教の宣教師とも交流するなど、まさにグローバルな動きを見せます🌍

時代の先を行く発想力、さすが独眼竜。

美と格式に生きた“伊達男”

伊達政宗といえば、もう一つ有名なのが「伊達男だておとこ」の語源説!

豪華な甲冑かっちゅう金箔きんぱくをあしらったかぶと、派手な装い…。

彼のセンスはまさに、戦国時代のファッションリーダー

「かっこよくなきゃ、意味がない」

そんな美意識と自己表現の力は、まさに現代にも通じます。

おわりに

伊達政宗は、戦国時代を駆け抜けた最後の“夢追い人”。

天下取りには届かなかったけれど、その生き様は今も多くの人を魅了し続けています。

・戦に強く

・政治に巧みで

・夢を忘れず

・そしてなにより、自分らしさを貫いた武将

独眼竜・伊達政宗――

その名は、時代を超えて“伊達な男”の代名詞になったのです。