003【徳川家康】”鳴かぬなら鳴くまで待とう”天下の大器晩成型!

はじめに

戦国三英傑のラストを飾るのが、徳川家康

「慎重で我慢強い人」というイメージが強いですが、実は幼い頃から波乱だらけの人生を送っていたのです!

苦難を乗り越え、最後に天下を掴んだ“遅咲きの英雄”・徳川家康。

彼の人生は、まさに“待つ男の美学”。

ドラマチックに追っていきましょう!

三河の小国に生まれたお坊ちゃま、しかし…

家康は1543年(天文11年)、現在の愛知県岡崎市に生まれました。

当時は「松平竹千代(まつだいら たけちよ)」という名前で、松平家という地方の小さな領主の家柄でした。

でも…生まれてすぐ、人生が大波乱。

なんと6歳の時に人質として他国に送られ、以後、いろんな大名の元を転々とする生活が始まります。

親の愛を受けられない幼少期。

それでも、じっと耐え、知恵をつけ、将来のために力を蓄えていく――。

そう、家康はまさに“我慢と準備”の人だったのです。

信長との同盟。そして、いくさに次ぐいくさ!

成長した家康は、今川義元の配下として初陣を飾ります。

しかしその後、桶狭間の戦いで義元が討たれ、家康は独立大名として生きることを決意!

そして運命の出会いが訪れます。

そう、織田信長との同盟です。

信長とタッグを組み、何度も戦を繰り返しながら領土を広げていく家康。

信長が討たれた後は、豊臣秀吉と対立しつつも、最終的には臣従(仕える)という形でバランスを保ちます。

でもこの時、家康の胸には「いつか必ず、自分が天下を取る」という強い意志が秘められていました。

天下分け目の戦い「関ヶ原」!

時は1600年。

ついにその時がやってきます。

秀吉の死後、豊臣政権を支える石田三成と家康との対立が深まり、日本中を二分する大決戦――

それが「関ヶ原の戦い」です!

この戦で家康は、持ち前の策士ぶりと冷静さを発揮。

西軍を見事に打ち破り、実質的な天下人となります!

人生の大勝負に勝った家康。

でも、まだ「正式な天下人」ではありません。

家康が次に選んだ道は――

“徳川家が続く安定した世の中を作ること”でした。

江戸幕府、開幕!

1603年、家康は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され、江戸幕府を開きます。

この時、家康は61歳。まさに「遅咲きの天下人」!

その後も体制を整え、豊臣家との戦いにも備えます。

1615年、大坂の陣でついに豊臣家を滅ぼし、天下統一が完成しました。

こうして、家康がつくった江戸幕府は、なんと260年以上も続く安定政権となったのです。

人生訓としても人気な家康の言葉たち

家康は多くの名言を残しています。

なかでも有名なのがこちら:

「人の一生は、重荷を負って遠き道を行くがごとし」
「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」

焦らず、慌てず、ただ地道に進み続ける――

そんな家康らしい言葉が、現代でもビジネスや人生訓として愛されている理由です。

おわりに:”最後に笑う者”、それが家康!

徳川家康の人生は、決して派手ではありません。

だけど一歩一歩、堅実に、着実に歩んできたからこそ、最後に笑った男となりました。

苦しみにも耐え、失敗にも学び、最終的には理想の世の中を作りあげた男。

それが徳川家康です。

人生、焦らなくていい。ゆっくりでもいい。

家康のように「自分のペースで、しっかりと」進んでいけば、きっと、あなたの“天下”も見えてくるかもしれませんよ!