篠原国幹。
薩摩が誇った、猛き武士の一人。
激動の幕末。
言葉よりも先に、剣が語る時代だった。
国幹は、戦場で生き、戦場で死んだ。
だがその生き様は、ただの武人には収まらない。
忠義と信念を胸に、彼は明治維新という荒波を突き進んだ。
薩摩藩士としての矜持
篠原国幹は、薩摩藩の武士として生を受けた。
剣術に優れ、若い頃から軍事に精通していた。
討幕の機運が高まる中、彼は島津久光に仕え、藩の実戦部隊の中核を担っていく。
幕府に対して牙を剥き始めた薩摩。
その最前線に、常に国幹の姿があった。
戦場を駆ける、維新の槍
鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争――
新政府軍の中でも、篠原国幹の部隊は常に突撃隊の先頭だった。
彼の率いる薩摩兵は、精強を誇り、「薩摩の鬼」と恐れられた。
敵にも、味方にも、一目置かれる存在。
だが国幹は、それを誇ることなく、黙々と前線に立ち続けた。
西南戦争――最期の戦場へ
明治になり、新政府の中枢に迎えられるも、国幹の心は複雑だった。
かつて共に戦った西郷隆盛が、西南戦争で政府に刃を向けたとき、
彼の胸にも、答えの出ない問いが残った。
そして、1877年――篠原国幹は、西郷軍の一員として再び戦場に立つ。
熊本城を巡る激戦のさなか、彼は壮絶な戦死を遂げる。
その死は、新政府にとっても、大きな衝撃だった。
まとめ:忠義を貫いた、維新の矛
篠原国幹の生涯は、戦の中にあった。
けれど彼が貫いたのは、ただの戦ではない。
「信じたもののために、命を投げ打つ」――
その姿は、まさに幕末を駆け抜けた武士の象徴だった。
時代が変わる中で、矛を置かずに散った男。
篠原国幹の名は、戦いに生き、戦いに殉じた“最後の武士”として語り継がれている。